世界の映画人ー川喜多長政、かしこ夫妻の鎌倉映画記念館を訪れる①
maesaka-toshiyuki.com 世界が尊敬した日本人(77) 世界の映画親善大使・川喜多かしこ 前坂 俊之 (静岡県立大学名誉教授) 『名画輸入の国際映画人」「映画大使」として着物姿でカンヌ、ヴェネチア映画祭などの審査員をつとめた"マダム・カワキタ"川喜多かしこは60年にわたって名画を輸入し、日本映画を世界に紹介した国際文化交流の先覚者である。 川喜多かしこは明治41(1908)年3月大阪生。少女時代は日中間を転々とし、横浜フェリス女学校で英語を学んだ。関東大震災で父を失い、母妹を食べさせるため、英語力を活かそうと東和(現・東宝東和)に入社した。 その時の社長が夫の川喜多長政で明治36年生。父が清国の陸軍教官を務めていたため、上海で育ち北京大学に学んだ。その後、ドイツに留学し、英語、ドイツ語、中国語、フランス語もマスターした国際派だった。 長政はヨーロッパ文化に接し、映画の輸出入を通じて国際文化交流に貢献しようと昭和3年、東洋と西洋の和を意味する「東和商事」を設立した。 翌年、2人は結婚し、夫婦でヨーロッパ映画の名作を輸入、配給する仕事を始めて夫婦で欧米に買い付けに回った。映画史上に残る名作「自由を我等に」(昭和6)「巴里祭」「会議は踊る」「望郷」「民族の祭典」(同11)などを次々に輸入、昭和12(1937)年には日独合作映画「新しき土」(原節子主演)を制作した。昭和14年、日中戦争下の上海で日中合弁の映画会社のトップに就任。中国側の自由な映画制作を守り、軍部からの圧力に抵抗した。 昭和21年。夫妻は李香蘭(山口淑子)救い出して帰国したが、翌年GHQから公職追放となった。ユダヤ人、中国人の映画人たちの支援で公職追放は25年に解除され、再び、世界的な映画人として活動を再開した。 以後、2人3脚で、夫妻で1年のうち10ヵ月は ...