Risk and Liquidity (Clarendon Lectures in Finance)
2008年9月のリーマンショックを中心とした金融危機はなぜ起こったのか。その理論的背景を非常にわかりやすく解説した本です。
筆者はバリバリの経済学者ですが、この本自体はそれほど難しいものではありません。たまに確率分布やラグランジュ乗数の知識が必要になりますが、飛ばしても問題ありません。数学やモデルを使わない記述的な説明部分だけでも読むに値すると思います(実際の金融機関の破たんを一章にわたって分析したケーススタディもあります)。金融の知識についてもVaRって何?レポ取引って何っていうレベルの人でも十分理解できます。もちろん、実務家の方も参考になるところは大いにあると思います。
Reassembling the Social: An Introduction to Actor-network-theory (Clarendon Lectures in Management Studies)
何でもいいが、ある現象を「社会学的」に説明するとなると、次のようになる。まず、その現象を除いた他の現象の総体を「社会」として括る。そして、その「社会」なるものが原因となって、当該の現象が結果として生じるロジックを構築する。「社会学的説明」とは大雑把に言えばそんな感じである。「社会」が根底にあって、そこから諸現象が帰結として現れる、と。
しかし、そもそも当該の現象それ自体もまた「社会」を構成し、その「社会」をそのような「社会」たらしめているものなのではないのか。だから、当該の現象を切り離したところにある「社会」などありえないのではないのか。たとえば、大英帝国を代表する科学者ケルヴィンが大陸間横断の海底電信ケーブルを作り上げた「原因」は疑いもなく大英帝国という「社会」の要請であったが、同時に、海底電信ケーブルの存在によって大英帝国が大英帝国でありえたのだともいえる。海底電信ケーブルは大英帝国の結果であると同時にその原因でもある。
ある意味、ごくごく当たり前のことを、こんなそれなりに厚い本を書いてまで説明しなきゃいけないという状況が不可解ではありますが、エディンバラ学派が推進した科学知識の社会学の試みによって単純すぎる「社会学的説明」のやり方の限界が露呈したというラトゥールの指摘は当たっていると思う。
デュルケム批判からタルドの再評価へ、といった具合に進む本書は、ラトゥールの本領たるサイエンススタディーズ分野に限らず、広く社会学的研究一般に関心のある人たちに訴える内容になっています。