実存と構造 (集英社新書)
本書のプロローグの冒頭に「この本は実存主義や構造主義の解説書ではない.また,文学作品についての評論や批評,あるいは入門書の類でもない.」と書かれていますが,本書は実存主義や構造主義のバリバリの解説書であり,文学作品の評論でもあります.
難しい言葉や概念をほとんど使わず,丁寧にわかりやすく実存主義と構造主義の解説がなされています.
なので,初心者でも読了するのにさほど困難を感じないでしょう.
特に,構造主義的内容を含む,大江健三郎と中上健次の小説を,結構な頁数を割いて詳しく論じているので,その手の批評を読みたい方にはお薦めです.
ただし,同著者による「深くておいしい小説の書き方」(集英社文庫)に書かれている内容と本書の内容に似通った部分が多くて(それでも,内容が完全に一緒というわけではなく,修正されてはいるのですが),「深くて・・・」を読んだことがある方には,若干デジャブ感を与えかねないと思います.
しかし,本書の方がライトに書かれているので,実存主義と構造主義とはなんぞや,ということを入門的にお手軽に学びたい方にはお薦めかもしれません.
いちご同盟 (集英社文庫)
わかりきっている結末なのに、こみあげてくるものを抑えることができなかった。
15歳になる3人の物語。だからイチゴ(一五)同盟。
ストーリーは単純。
結論も途中から見えている。
だからこそ、このような物語を書く作家は力量が試される。
この作品はその成功例といえる。
基本的に青少年向けの話になっているが、大人が読んでも十分鑑賞に堪える。
そもそも、命に向かい合う話に年齢はあまり関係ない。
中学生が毎日マーラーを大音響で鳴らしながら勉強するなんていう無理な設定も入ってはいるが、音楽の使い方も上手い。ベートーベンのソナタの演奏で主人公の心の成長を間接的に示したりしている。
文体はちょっと古いが、特に気にはならなかった。
なりひらの恋
伊勢物語のエピソードと歴史的事実をすりあわせながら、伝説のプレイボーイの物語を、軽く、楽しく展開することが作者の意図だ。その通りに、予想以上にさっくりと読み進むことができた。
歴史的な事実や人名を把握していなくとも、十分に説明がなされており、気にせずに小説として楽しむことができる。もっと把握しておきたい人には、巻末に系図も用意されている。
この時代の貴族で色男となると、当然のように和歌が出てくるが、それもわかりやすい現代語に翻案されて詠われており、すんなりとやり取りを味わうことができるだろう。
伊勢物語には手が出にくいという人にも、これならすらすらと読めることは間違いない。
肩肘の張らない時代モノの恋愛モノ。だが、無常感をそこはかとなく感じてならなかった。
一番の恋の顛末は、残念ながらハッピーエンドとはならない。その人生もまた。
パパは塾長さん―父と子の中学受験
作家であるパパが、わが子を私学へ入れようとあれこれ奮闘する話です。パパのがんばりぶりも面白いですが、子供たちのとても素直な感じが可愛くて、読みながら思わず応援してしまいました。特に算数は天才的だけれど、国語がさっぱりという次男がユニークで、ページをめくるごとに笑ってしまいました。こんな子もいるんだなあと感心してしまいます。今は、どんな大人になっているのだろうと好奇心いっぱいで、ぜひ、作者に今のお子さんの様子を書いてもらいたいと期待しています。
ユダの謎キリストの謎―こんなにも怖い、真実の「聖書」入門 (ノン・ブック)
この本は、わずか200頁強の本でありながら、イエスとイエスの教団、イエスの教えに肉薄しようという三田のいつも通りの野心的試みである。
三田は、作家らしく、ルカ、マタイ、マルコ、ヨハネの四つの福音書および戦後発見された「トマスによる福音書」「死海文書」の内容のズレから、真のイエスの姿に迫ろうと試みる。若き頃から腐敗・形骸化したユダヤ教の分派を批判し、それがもつ強烈な民族主義を超えて“普遍的な人間の苦悩”の解決のために行動するイエスの姿がまるでそこにいるかのように描かれている。また、十二使徒の一人一人の姿も実に生き生きしていて読んでいて楽しくなる。
『予言書「イザヤ書」に書かれる“屠り場に引かれる子羊”、“彼は自らを償いの捧げ物とした”という部分こそ、キリスト教の宗教原理の根幹であり、イエスは自分自身を「生け贄の子羊」として捧げ、神と新たな契約を結ぼうとした。それこそがキリスト教の教典が「新約聖書」と呼ばれる理由』らしい。
三田はここで大胆な仮説を立てる。熱心党のリーダー格であり、イエスの教団への資金供給を行いと教団のNo.2で会計係でもあったユダは、ローマ帝国支配打倒への意志を示さないイエスを利用できないと最終的に判断したというのだ。最後の晩餐でイエスに「なすべきことをなせ」と言われ、静かに席を立つユダ。神殿兵への連絡、イエスだけの逮捕。そしてゴルゴダの丘でのイエスの処刑・・・。(イエス処刑後数十年経って熱心党は第一次ユダヤ戦争と呼ばれる大反乱を起こしている。)
イエスにはもちろん“殉教の覚悟”というものが常にあったのは想像に難くない。しかし、わずか30歳でその生涯を本当に終えようとしたのだろうか。一人でも多くの人を救うために数々の困難も克服してきた、強靱な生命力と精神をもつ彼は生きられる限りは生きようとしたのではないか・・・。春の朧夜に僕はじっと目を凝らして考え続けている。