なぜ子供のままの大人が増えたのか (だいわ文庫)
著者は、ペルーのフジモリ元大統領を日本でかくまったことが報道された熱心なクリスチャン作家です。私は曽野氏の小説は読んだことはないのですが、最近、彼女が書いたエッセイ「老いの才覚」がベストセラーになったことで、書店の店頭でたまたま見かけた本書を読んでみました。
本書は、2005年10月に出版された「「受ける」より「与える」ほうが幸いである」に追記し、再編集して文庫として出版された本だそうです。
目次の主なタイトルを上げると、なぜ日本人は駆け引きが下手なのか、人前で妻を褒められるか、平和は善人の間には生まれない、奉仕活動はしたことがない人ほど反対する、必要悪は善か悪か、子供に迎合する社会、教育の基本ルールとは、「したくないこと」をする、凧が高く飛べるのは、などが収められています。
タイトル通りの文章はないのですが、一番近いものとしては、幼児性とは、について書かれている部分でしょう。「不純にもいろいろある。不純というと一つの概念しか考えないのが、幼児性なのである。」などなど、曽野氏のセンスある文章が並んでいます。
現代の文化人とはひと味違ったピリリとする倫理観に基づくかなり渋めの意見も多い書ですが、一読の価値はあると思います。
揺れる大地に立って 東日本大震災の個人的記録
著者が東日本大震災後に感じたこと書き連ねたものである。書き下ろし原稿に、新聞・雑誌への寄稿原稿を加えているので、論点が散漫な感は否めないが、日本人が改めて自分自身を見つめなおすための様々な視座が提供されている。例えばそれは、未来が予測不可能なことや、絶対の安全などないことなどである。
また、この震災を通して浮かび上がった日本および日本人の欠点も多数指摘されているが、それでも他国と比較すれば、日本および日本人は物心両面にわたって豊かであるとのことである。震災当日でもほとんどの被災者が体育館等に避難できたわけだが、夜露さえしのぐことのできない所で生活している人間が、この地球上にはいまだに存在しているのである。そして不思議なことに、学校で教えていないにもかかわらず、「義を見てせざるは勇なきなり」という気風が残っていたことなど。
東日本大地震の影響を受けた人も受けなかった人も、本書を読んで日々を生きていく上での心構えを再構築することをお勧めする。
人にしばられず自分を縛らない生き方 (扶桑社新書)
過去に執筆した小説やエッセイから、社会や人間、老後と死、生き方、国、いい加減なマスコミと大衆などに関する箇所を集めた本。曽野綾子の達観した人生観が垣間見える。
生い立ち、病気、世界の本当の貧困、日本人の貧しい心などなど。どれも1頁に満たない文章ばかりなので、気楽に人生を考えられるのが良い。
沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実―日本軍の住民自決命令はなかった! (ワックBUNKO)
沖縄本島の西に在る渡嘉敷(とかしき)島では、沖縄戦の際、日本軍が住民に集団自決を命じ、住民329人が、集団自決を遂げたと、言はれて来た。ところが、1973年(昭和48年)、曽野綾子さんは、『ある神話の背景』(文藝春秋/1973年)において、この「定説」に疑いを投げ掛けた。疑いの理由を要約すると、この渡嘉敷島の集団自決に関する話が、共通して、1950年に出版された『沖縄戦記・鉄の暴風』と言ふ本の内容に依拠しており、更に調べると、その『鉄の暴風』の内容は、集団自決の目撃者ではない二人の人物の伝聞を根拠にした物でしかなかった事が、判明する。そして、そこから、曽野綾子さんが、渡嘉敷島の住民と、自決を命じたとされる赤松元大尉、それに赤松元大尉の元部下らに精力的に聞き取りを行なった処、集団自決自体は確かに在ったが、赤松元大尉が住民に自決を命じたと言ふ証言をする人が居ない事が明らかに成る。つまり、渡嘉敷島で集団自決が有った事は事実でも、それが軍の命令による物だったと言ふ話は、『鉄の暴風』と言ふ本に書かれた話をマスコミが検証せずに広めた神話だった事が判明するのである。そして、その『鉄の暴風』の記述も、「地下壕」で決定が為された等と述べる記述が有るものの、現地に地下壕など無かった(!)事を知念朝雄氏が証言するなど、信用の置けない物であった事が判明するのである。こうして、沖縄戦の際、渡嘉敷島で起きたとされる「軍の命令による集団自決」は、全く信用の出来無い話である事が露呈する。−−これが、本書の要約である。
しかし、「軍による集団自決」は、今も教科書に書かれたままだと言ふ。こんな虚偽の歴史を教える事を「平和教育」と呼ぶのだろうか?
(西岡昌紀・内科医/戦後61年目の夏に)