「国力」会議
本書は国際政治経済学者の浜田和幸氏をホストに、麻生太郎・石破茂・平沼赳夫・与謝野馨(敬称略)らに質問をぶつけ、それに彼らが答えていくという構成になっています。
まず最大の不満点として「会議」と銘打ってはあるものの、この四者による「討論」にはなっていないことがあります。
この書はあくまでも浜田氏が個々に対して質問をして、それについて質問をされた人のみが答えているので、同じ質問に各人の意見が聞けるというわけではありません。
よって四者による「カンカンガクガク」の議論の応酬を期待すると裏切られます。
ともあれ、各氏の日本や政治に対する熱い想いは強く伝わってきて感銘を受けました。
なにより現役閣僚を始めとした、前自民党幹事長、元経済産業大臣、前官房長官などそうそうたる顔ぶれの考えが聞けるというのは、現在の日本を考える上でとてもオトクな一冊と言えるのではないでしょうか。
麻生太郎氏は主に日本の治安の良さを始めとした「日本の得意な分野を伸ばそう」と語ります。
石破氏は「軍事」についてもっと議論をしよう、組織を良くするのならトップがコロコロ替わるのは良くない、と一貫して語ります。
与謝野氏は「多数派を善」とする日本の国民性に警鐘を鳴らします。
そして一番印象的だったのが平沼氏の米国・中国に対する外交話です。
拉致議連会長でもある平沼氏が訪米して米議員やヒル国務次官補と会談した際、日本の主張をはっきりと伝えたところ、議員からは良い返答があったものの、ヒル国務次官補は口を閉ざし、なんと「役人である自分の上にライス国務長官が、チェイニー副大統領がいて、ブッシュ大統領がいます。最終的にはブッシュが決めることで、自分には権限がない」と言い、自らの意見は一切言わなかったそうです。
また中国との貿易摩擦が発生して当時経済産業大臣だった平沼氏が訪中した際、中国側の不手際に対して席を立って帰国してしまったそうです。
そうしたら再び訪中した際の中国側の態度が一変して良くなったというのです。
平沼氏は「外交のベースは毅然とした態度にあります。主張すべきことは、おもねることなく主張する」と語ります。
当たり前のことですが、なかなかそれが出来ない日本の政治家の方々を見ていると平沼氏の一連の言動には頼もしさを覚えました。
官愚の国
「日本中枢の崩壊」(2011年)古賀茂明を読むとあと数年の猶予があるように思われるが、本書に来ると「傾き続けてこの先どこまで行っても浮かぶ目無し」と考え改める。
本書は内部告発の一種と言われるだろうが、告発というのか国民不在の利益闘争の茶番山盛り状態では告発の域を超えている。
原発を監督する部門が同じ役所の下にあった。一旦事が起きると糊塗されていたシステムがモグラ叩きに出る。こういった人災の被害者となる国民の方は堪らない。税を被り、放射能まで被る。天下りを一掃する言うから期待した政党が、直ちに宗旨替えの腰砕けとなる程度の国には良く似合うというべきか。
本書を見ても官僚制度の内部からの改革は全く期待できない。というより、一義的に改革とは自己反映のために肥大してきた独法などを切り捨てるに過ぎない。
今後数年で国の借金が国民の金融資産を上回り、2011年のギリシャのような状況が視野に入るまで5年か?10年も持つまい。その時ようやく山県有朋以来の大改革とマスコミが騒ぐには時期を逸している。その期に及んで年金も失っているだろうけど、日本人は改革と言うんだろうか。
「われら富士山」お山の大将で、同じ学校の先輩後輩がリレーするシステムを優秀だからなんて社会が続く異常がとうとう崩壊する事態となるところ。
堂々たる政治 (新潮新書)
福田首相の突然の退任で、自民党は総裁選になり、その行方についてはどうなるのかわかりませんが、与謝野さんは報道によれば麻生さんの対抗馬と見られているようです。
その与謝野さんがお書きになったこの本を読ませていただいて、少なからず応援したくなりました。TV画面で拝見する時も、余り飾らないような感じの方だなと思っていたのですが、この本は、それを裏付けてくれるような印象を持ちました。さすがに血筋といいますか、文学的センスといいますか、非常に読みやすかったです。
この本は、3つのパートに分かれた構成になっています
1.与謝野さんから見た、安部、小泉政権の総括
2.与謝野さんご自身の半生
3.政治に対する考え方、政治家のあるべき姿、政策論
現役の国会議員だけに間近でご覧になった安部首相、小泉首相像は新聞やTVではうかがい知れない面がわかり、ははあ、こういう事情だったのか、とか、こういうことだったのか、とその時々を思い起こさせる臨場感があります。
お名前からも判るように、著者は与謝野鉄幹、晶子を祖父、祖母に持つちょっと文化の香りのする方ですね。その鉄幹、晶子夫妻は文学史上に残る方ではありますが、生活は苦しかったようです。鉄幹・晶子夫妻のご次男が著者の父親で、外交官でした。その為、著者は海外生活が長く英語の方がよく理解ができたそうです。日本ではまったく勉強ができなかったが海外に行って自信を取り戻したように書かれています。日本では東大を目指しますが、落第。駿台予備校にも落第。最初の挫折と仰っています。一日16時間の猛勉強の末翌年東大に合格したけど、勉強に身が入らず野球部に籍を置いたけれども一浪の影響もあったのかマネージャーであったことなど、半生を興味深く読ませていただきました。
議員になってからは何度か落選も経験されておられます。タイトルの「堂々たる政治」は、人気取りに走るばかりが政治家ではなく、言うべきことを堂々と語れる政治家を目指す著者の心情を表しているのでしょう。兎角政治家は色眼鏡で見られがちです。腹黒い、偉ぶっている、お金に汚い。そういった面を見せ付けられているせいもあるでしょうが、天下国家の志を抱いて国会議員になられている方も大勢おられるはずです。そういったことを期待させてくれました。
WiLL (ウィル) 2011年 03月号 [雑誌]
今回、渡部昇一先生の小林よしのりへの最終回答を読みたくて購入しました。だから、まだ渡部先生の論文しか読まずに投稿します。さすがは保守論壇の重鎮、完膚なきまでに身の程知らずの論画家・小林よしのりを切って捨ててくれたのは痛快でした。下品な小林に比べ品位ある渡部先生ですが、さすがに行間には怒りが隠せないといったご様子です。スカンクの比喩に続いて今回は、老学者・田中卓の番犬ドーベルマンです(笑)いつもながら、渡部先生の比喩は秀逸です。そんな渡部論文の前に、小林よしのりの広告ページがある。編集部の意図なのかわからないが、和装で正座して日の丸扇子を掲げる小林の写真が、妙に間が抜けて見えるのは僕だけでしょうか。そして16ページにわたる小林の論画がある。一体いつまで連載が続くのだろう。相当うんざりしてる読者もいるに違いない。そこで花田編集長にお願いです。この小林の論画を袋とじにしていただけないだろうか。まさに渡部先生が指摘されるように、小林の醜画を見たくないというウィル読者は少なくないはず。読みたい人だけが袋とじを開いて読む。どうでしょう?
世界大不況からの脱出-なぜ恐慌型経済は広がったのか
ベタな言い方になり、何をいまさらですが、
ノーベル賞は、ようやく世界がクルーグマン先生を認めたということなんでしょう
、徹底的にわかりやすいのは教科書だけではない(絶望的に分厚いけれど)
熱い情熱が伝わってきます