敦煌 特別版 [DVD]
中国の宋の時代の戦争ものだが、
それは背景に過ぎず、
文化遺産を引き継ぐ人々を
描いたものだと思う。
文化遺産は、昔の人々の想いが
しみこんだもの。
それを見て、自分のものとし、
次の世代の人々と共有するために
引き継いでいく。
天災、戦争、強奪にも負けず、
今残っている世界の文化遺産は、
そういった人々の想いも含めて、
宝なんだと感じた。
もしかすると、その想いの方が
大切なのかも知れない。
そのことのに気づくことが大切だと思うし、
気づかせてくれる作品だと思う。
それを、自分だけの所有物とすることは、
もっとも醜いことだと感じた。
おろしや国酔夢譚 (文春文庫 い 2-1)
もし私があのような状況に置かれたら一体何ほどのことができるだろう。
光太夫という人の生き抜く力。
一商人でありながら世界というものに、その中の日本というものに気づく洞察力。
新しく出会うものに対して卑屈にならず、むしろそれを吸収する柔軟性と自信。
人や国に対する優しさ、尊敬を持って接する態度。
上等な人間の資質を持った人だったのでしょう。
歴史の中ではある一人の人物を借りて物事が大きく変わっていくことがあるというけれど、彼もまたその一人なのだと気づかされる。
映画も面白いですよ。
猟銃・闘牛 (新潮文庫)
学生時代、井上靖と同級だった美学の教授が、講義中ちょっとした懐古談をしたのを覚えている。詳しくは忘れたが、井上は立派なものだ。彼は学生時代から小説家をめざしていた。まず「詩」を勉強し言葉(表現)をみがく、卒業したら新聞記者となり、社会・人間を広く知る。小説にはさまざまな題材が必要だからね、と言っていた。計画どうり彼は毎日新聞で14年間記者をやって、小説を書き始め作家として成功した、というものだった。
「猟銃」は井上の処女作。ここで既に、後の中・長篇ロマン(「渦」「あした来る人」「氷壁」「憂愁平野」など)で追求される井上文学の中心テーマ――人は愛し愛されることを求めて生きていく。だが満たされる愛などあるだろうか、結局は孤独と憂愁を抱えて生きていくのが人間存在ではないだろうか――は色濃い。
従妹みどりの夫三杉と不倫関係におちいった彩子は、三杉と共に「みどりのみならず世間すべてを欺こう、二人で悪人になろう」と決意する。秘密は死守しなければならない。みどりに知れた時は、自ら死をもって罪を償う時だ。みどりはこれを当初より感づいているが黙認し十数年が経過する。そして破局の時が来る。病床の彩子を見舞ったみどりは、彩子が三杉より贈られた紫の薊を浮き出させた羽織をまとって床に座っているのを見て、思わず「思い出のお羽織ね、これ」と口走り、彩子の顔は硬直する。
死後三杉宛ての遺書で、彩子は意外な事実を告白する。あれほど罪の意識に苦しみ、みどりに知れたら死のうと思っていたのは<滑稽な夢想>で、自分には<一匹の小蛇>が潜んでいた。生きる支えを失ったのは、奇妙にも、長い間意識することもなかった離婚した彩子の夫がとうとう再婚したのを知ったためだという。
小説は、この物語の語り手である「私」に、三杉がみどり、彩子、彩子の娘からの手紙3通を提示する構成となっている。「私」は三杉の添え書き<自分が猟銃に興味を持つに至ったのは、もう数年の昔にさかのぼることで、その頃既に猟銃は私の肩になくてはならぬもののようであった>を何度も読み返すうちに、三杉がこれ等三様の告白から知り得た新しい事実は何もなかったのではないかという気がしてくる。
三杉は妻を愛そうとして果たせず、彩子との愛に賭けはするものの、満たされた究極の愛などないことを予感している。「私」が天城山麓で見かけた、猟銃を肩にゆっくり山道を踏みしめて登っていく孤独な後ろ姿が三杉だったのだ。
井上文学から深遠な哲学を読み取る必要はない。ただ比類のない詩情、清澄なリリシズムを愛しながら、大人のロマンに浸ればいいのだと思う。
風林火山 [DVD]
小谷野さんと言う方が「来週」と言う台詞を槍玉に揚げて批判していますが「来春」の間違いでは?シナリオのいい加減さに文句をつける前に、自分の聴覚のいい加減さをどうにかするべきだと思います。大体ちゃんとストーリー追ってれば展開上「来週」と「来春」を聞き間違える余地など無いはず。理解力もいい加減なのですね。
本編のレビューと関係なのですが、あんまり言い方が酷かったのでつい。
本編は非常に豪華で華やかな戦国絵巻です。
豪華な俳優、力の入った合戦、美しい情景など大作映画に恥じない出来です。
時代考証の面では古さゆえの間違いは多々ありますが、華やかさ実力ともに一流の俳優陣の演技が吹き飛ばしてくれます。
それでも後半はちょっと長く感じますが、終わったとに余韻の残る良作娯楽時代劇です。
決してメジャーではありませんが、音楽も良いです。