山本五十六 (上巻) (新潮文庫)
定番の、五十六本。
上巻は、開戦直前までの話である。
駐米海外武官、ロンドン軍縮会議での逸話、
海軍次官時代、3国同盟締結に猛反対し、
命を狙われる話など、とても興味深い。
山本の攻め一本の性格や、とことんまでやるという性格
などの人間性も面白い。
また、新聞記者などへの情報の与え方など、
メディア操作をきちんと理解していたのか、と感心する。
歴史にifはないけれど、
連合艦隊司令長官でなく、政治の舞台を与えることができたら、
全く違った世界ができていたのでは、と思えてしまう。
「男の修行」や「・・誉めてやらねば人は動かじ」
など、気になる名将です。
山本五十六 (下) (新潮文庫 (あ-3-4))
山本五十六に関しては、およそ支離滅裂な愚将という印象しか湧いてこない。しかしながら、この作品に見るように、戦後も彼を異常に美化する人々が如何に多いことであろうか。大方、戦前、海軍や外務省にいた人々は、自分達は戦争に反対であったのに、陸軍が無茶をしてあんな戦争になってしまった。我々は常に利口でスマートであったという、優越感のようなものがあって、その象徴として山本五十六という存在が必要なのではないだろうか。「二年間は暴れ回ってご覧にいれます。それ以上となると物量が続かないのでそれまでに講和してください」というのは、確かに賢そうに聞こえるが、もし、その言葉通り将来的な講和を睨んでの作戦なら、真珠湾奇襲のように相手の急所を蹴り上げるようなまねはしないだろう。酔っぱらいのケンカでさえ多少の分別がのこっているのなら、せいぜい、胸ぐらをつかんでの取っ組み合いである。結果として、アメリカ人をして、原爆を叩き込んでも良心の呵責に苦しむことないほどに日本に対する憎悪をかき立てたのが山本ということになる。アメリカの国力を知り尽くしていたというなら、政治の延長としての作戦を優先するべきではないか。もし漸減邀撃作戦に類似した戦い方を選択していたならば、かなりの長期にわたって交渉の可能性を残していたであろうことを考えれば、一時の功名に走って日本の命脈を丁半博打に賭けた博徒としての山本像しか浮かんでこないのだが・・・。それに死に場所を求めての南方視察なら一式陸攻の搭乗員は自死に付き合わされたということなのだろうか?確かに、あの様な戦争は誰も望んでいなかった、それに反対していた「海軍」というエリート集団の代表をヒーローとして持ってきたいという旧海軍軍人の気持ちは分からなくもないが、虚像を理想化し続けることは進歩にはつながるまい。
きかんしゃやえもん (岩波の子どもの本)
~NHKの人形劇の再放送を見てなんだか号泣。子供の頃読んだやえもんですが、大人になった今の方が強く心揺さぶられました。
ハッピーなラストを迎えるとはいえ、やえもんがしくしく泣くところなど見てて胸が痛くて。何日間もやえもんの事考えてしまいました。
童話なのに、ある意味容赦がないというか、ストーリー全体がシビアだなあと思いました。世間の悪意~~(古いやえもんがからかわれるところとか)や現実の悲しみみたいなのが、この単純な話の中に凝縮されているのです。なおかつそれを温かに包んで胸にしみるお話となっています。
子供にも大人にも読んでいただきたい名作です。~