3.11同時多発人工地震テロ
ネットで話題になっていましたので、購入しました。
この本の真偽についてはわかりません。
(個人的にもっと勉強すればわかると思いますが)
しかし、マスコミ情報などを見ていてもそうですが
「“安全”という、うやむやな隠蔽や偽情報よりも、
“本当のところは〜です”」という真実のほうが
逆にすっきりするものです。
そういった意味では、限りなく真実に近いものが
ちりばめられている本なのではと感じました。
暴動を起こすのではなく、PC1つで立ち向かう、
そんな著書のあり方に、刀を抜かずして勝つ
サムライの気概を感じましたので、星5つ。
暴走する資本主義
今日、日本を含む先進国では、貧困問題・格差問題等の社会問題が尖鋭化しているが、なぜこのような状況に陥ったのかを示した本である。すなわち、1970年代以前の古き良き「民主的資本主義」に基づく大企業や政府による、寛容で真摯な社会が、いわゆる「グローバリズム」による競争圧力が企業に加わり続けることによって、より安価な製品・サービスを望む「消費者」とより企業の利益の拡大を望む「資本家」が圧倒的な力を持ち、企業で働き企業にとってはコストである「労働者」と社会を構成しより良い地域の環境を望む「市民」への配慮や寛容さが急速に失われたことで、貪欲で情け容赦のない社会が必然的な流れとして現れているのである。これを筆者は、民主主義とは相いれない「超資本主義(=Supercapitalism)」と呼んでいる。
論理的かつ本質をつき明確にその答えを示した深い考察である。その通りだとも思う。問題を矮小化し、政府の規制緩和、あるいは企業のグローバリズムに問題を押し付けた本は多々あるが、根本原因を民主主義の崩壊と捉えた本書は秀逸である。さらに言えば、本書が執筆された2007年当時は、グローバリズムも一般的な言葉でなく、リーマンショック以前に書かれたことを思うと、本当に素晴らしいと思う。
加えて、翻訳もストレスなしに読むことができ、訳者の力量も感じられる。おしむらくは、書名が「暴走する資本主義」とはちょっと違うと思われる点、超資本主義の処方箋について書かれた第6章についてあまり共感しない点と、すばらしい訳者のあとがきがある前に、なぜか勝間和代の不必要な推薦コメント文がある点である。これら点を割引いても、十二分に広く読まれるべき本と言える。
携帯用防災グッズ 「おともし隊」ミニ6点セット
携帯用防災グッズ 「おともし隊」ミニ6点セットいざという地震のとっさの時にいつでも何処でも手元に無いと役に立たない。その点でこれは胸ポケットやバッグ、女性なら小さなポシェットにも入る優れものです。ライトとラジオに電池は入れておき、笛は携帯電話のストラップに付けた。とにかく小さくコンパクトなので、家族全員に持たせて、知人にも贈り物としてあげたら大層喜ばれています。特に女性にはかさばらないのでいつでも持てる小さなレスキュー隊として便りにされています。
朽ちるインフラ―忍び寄るもうひとつの危機
この本は分かり易くて面白かったです。そしてけっこう必読度の高い話題です。
アメリカでは、大恐慌後の公共工事ラッシュ時に建設された橋が、ちょうど50年ほど経過した1980年代に次々と崩落事故を起こして国民を震撼させた。老朽化を放置していた結果である。日本のインフラも、東京オリンピックや大阪万博の頃に集中的に建設が進められており、今後2010年代に一斉に耐用年数の限界を迎ることとなる。これを放置すればアメリカと同じように、危険な事故が続発しかねない。
ところが、かつてのアメリカも現在の日本も同じなのだが、景気対策期や経済成長期にインフラを集中的に建設しておきながら、それらがいずれ一斉に更新時期を迎えることについては行政プランの中で忘れ去られており、予算獲得も難しくなった(建設から福祉へのシフトなどによる)。その結果、インフラの更新投資の必要性はかなり軽視され、なんだかんだと理由を付けて先延ばしにされた挙句、重大事故が相次いで発生したのがアメリカで、日本もいま30年遅れて同じ局面を迎えつつあるのである。
本書によれば、一般にはあまり知られていないものの、日本でも老朽化が危険なレベルに達しているインフラは急増しており、すでに使用停止や通行規制に到った橋は全国で1,764箇所ある。老朽化による崩落や破損、使用規制に関する具体的な事例も、本書では40件以上紹介されている。しかも危険なことに、全国に68万ある橋のうち、日常的に点検・管理されているものはごく少数で、そもそも38%の自治体は定期検査すら行なっていないのだ。
これは橋だけの問題ではなく、学校、図書館、病院、公民館といった公共施設や、上下水道、ごみ処理場などのインフラにも言えることだ。水道管にいたっては、そもそも震度6強の地震に耐えうるよう設計してあるものが全体の30%しかないらしい。すでに公共施設といわれるものの半数以上は築30年を経過している。
また今回の大地震で、あまり話題になっていないのだが、地震そのものというよりも老朽化を放置していたために起きてしまった事故もけっこうあるようだ。たとえば都内では九段会館のホールの天井が落ちて2名が死亡し、20数名が負傷したのがニュースになっていたが、千代田区の震度は5強であり、建築基準法が要求している耐震基準を大幅に下回る揺れに過ぎなかったのである。しかも津波が来たわけでもないし、地面が液状化したわけでもない。建築基準法は基本的に、震度7を想定して耐震基準を定めているらしい。ところが今回、震度6以下の揺れで、かつ津波被害も無かったにもかかわらず発生してしまった施設・インフラの「重大事象」がいくつもあって、本書では九段会館の事故を含めて10件が紹介されている。
著者の試算では今後、年平均で8兆円の更新投資を50年間続けなければならないとのことだ。ところが周知のとおり、国も地方も、税収減と社会保障費の増加によって財政は逼迫している。しかも公共インフラというのは、地方自治体のものが多く、なおさらファイナンスが困難である。
そこで著者は本書の後半で、民間資金を活用してファイナンスしていく方法とか、更新投資自体を最小化するためのインフラの建設手法やマネジメント手法を論じている。とにかくまずは何よりも“数字”を明らかにして、明確な問題意識を共有すること。そして施設の統廃合や複数自治体での共有、インフラ自体のスリム化、長寿命建築技術の導入、メンテナンス費用の削減などにより投資費用を最小化し、民間資金も活用して可能な限りの投資を行なっていくべきであると。
我々国民も、「無駄な工事が多い」とか「談合の温床になる」とか言ってる場合ではなく、必要最低限の公共インフラとは何なのかを考える必要があるし、インフラ更新費用をケチると将来重大事故が続発しかねないんだという危機意識を共有する必要があるんでしょう。
詩の礫
鉢呂吉雄がいいか悪いか別に、福島のある一部を示して「死の街(町)」という言葉をいった。その前にある新聞では、「ゴーストタウン」という言葉が載った。「死の街(町)」も「ゴーストタウン」も誰が最初にいったかは分からないが、言葉として意味を持ったのはそのときだった。
和合亮一氏は、3.11から、それまで考えていた彼の「詩」を捨ててでも、全力で体を言葉に乗せ、放った。それは、本当に詩なの、いや詩なのだ。これ以上ないほどの詩なの。目が離せなくなる。私小説的なものでもなく、詩によって自己を肯定されようともしていない。ただ、詩なのだ。たぶん、後世、この3.11を知るための言葉としては、もっとも重要なものの一つになるだろう。
原発事故によって、多くの人々は沢山のものを失い続けている。これからも、たぶん多くのものを失うだろう。しかし、さらに多くの人々は、このまま、福島から目を背け続けるのだろうか。そして、福島の痛みを切り捨て、忘れ続けるのだろうか。
痛みは痛みなのだ。悲しみは悲しみなのだ。怒りは怒りなのだ。福島は福島なのだ。読み換えはいらない。この詩集を読んで強く感じる。