カエテミル―インテリアのアイデアBOOK
部屋の模様変えをしても、いつもしっくりこなかったことが、この本を読んで改善されました!イラストが多く、絵本を読んでいる感覚で楽しかったです。
独り暮らしの方にはオススメ!
官僚との死闘七〇〇日
長谷川さんは東京新聞や中日新聞の論説委員で政府の税制調査会や財政制度等審議会の委員をしている方で、今はすっかり有名人となっている元財務省の高橋洋一さんやこれも名をあげれば高名な経済学者たちとアンオフィシャルなチームをつくり安倍総理の改革路線をサポートしようとした方で、本書はその奮闘記。日本の政治は政治家によって行われるのではなく、官僚の書いたシナリオに従って政治家が丸暗記したセリフを語っているだけだとよくいわれますが、本書を読むとそのタイトルの通り、官僚たちの執拗かつ策略的な牛耳たがり屋ぶりがよくわかります。
bureaucracyという言葉は、英語的なニュアンスだけでいうと小役人主義というか紋切り型というか、あまり良い雰囲気をもたない言葉です。日本でも元来、官僚的というのはそのような意味合いだったのでしょうが、本書を読むとまさに官僚支配制度とも訳すべき霞ヶ関の実態がうかがえます。 大臣や官房長官を歯牙にもかけず、省益を優先させて政局を強引に捻じ曲げようとする官僚や、政治家としてのポジショニングをあげるためにも官僚のいいなりになる霞ヶ関応援団となる「過去官僚」議員が本書のなかで実名で登場します。米国では大統領がかわると多くの官僚たちも入れ替わると聞いていますし中国などでは圧倒的に政治家のプレゼンスが大きいように思います。日本では結局、政治家が官僚たちの言うことをきかざる得なくなるのは、いろいろ理由がありそうですが、最大の原因は政治家たちのレベルの低さと政治哲学の無さなのでしょう。各省にかかわる腐敗や癒着、怠慢、非効率などが四六時中、紙面をにぎわせてそれなりにジャーナリズムや世論の糾弾をされているのですが、一向にそれらは改善されることなく続いています。それは国民として誠に腹立たしいのですが、本書を読み終えると省庁の構造改革などは道遠しという暗澹たる気分になります。
モーツァルト:2台のピアノのためのソナタ/シューベルト:幻想曲 他
クラシック音楽には様々な楽曲があり、多くの演奏家がいて、それで数多くの録音があり、フアンは様々にこれを楽しむ。その過程で、好みや解釈、あるいは思想などの違いが生じ、人によって、あるいは聴くときの気持ちによってさえ、支持する演奏、好きな演奏が異なる。まさにそれがクラシック音楽フアンの、汲めども尽きない「興味の泉」ともなる。
しかし、中には「この演奏は誰が聴いても、好きになっちゃうのでは?」と思うものもあり、さしずめこのペライアとルプーによる1984年と90年に録音された魅力的なディスクも、私にとって「そう思わせる一枚」なのだ。
ペライアとルプーという二人のピアニスト。この二人は、本当にこれらの曲に相応しい二人だ。彼らの演奏は、ヴィルトゥオジティ(演奏上の名人芸的技巧)を振りまくものではない。圧倒的な力を感じるものでもない。しかし、彼らの演奏に代え難い価値をもたらしているのは、深いところから綿々と紡がれる「音楽性」であると思う。つまりモーツァルトであればモーツァルトの、シューベルトであればシューベルトの歌を、まさに最上の形で自身のパフォーマンスの中に解き放つ能力に卓越しているのだ。だから、このディスクを聴いていると、本当に溢れるような音楽の魅力が横溢していて、音楽学とか、解釈論とかで文句をつけるようなことは到底頭に思い浮かばない。そういう天性の心地よさに満ちている。
モーツァルトの「2台のピアノのためのソナタ」は輝かしいニ長調の音楽だが、二人の演奏はヴィヴィッドで快活そのもの。屈託のない音楽が明るい陽射しのようにパーッと広がる華やかさがある。「幻想曲ヘ短調」は曲自体がモーツァルトの短調の名曲として数え上げたいくらいの名品だし、ペライアとルプーに弾かれると、濁りのない淡く優しい哀しさが適度に舞い、健康的な美観につつまれる。
シューベルトの「4手のための幻想曲ヘ短調」も知られざる逸品で、ペライアとルプーの明朗な音楽性に裏打ちされることで、いよいよその魅力が現出した観を深める。
以上のように素晴らしいディスクなのだが、収録時間が42分程度と短いのが残念。できれば彼らに弾いて欲しい曲がほかにもたくさんあるのだが。今後に期待したい。