保科正之―徳川将軍家を支えた会津藩主 (中公文庫)
今回の震災関係の新聞記事の中で、本書を紹介していたものがあり、読む機会を得た。
保科という方は、江戸時代の明暦の大火等に対応した方だ。将軍を支えるナンバー2という存在であり、例えば今の官房長官のような存在だったのかもしれない。
本書を読んでいて、改めて思ったことは日本の歴史は災害の連続であるということだ。人口が増え、町が大きくなるにつれて、災害の規模も大きくなる。本書で紹介された明暦の大火でも実に11万人近い死者が出たという。その災害に際して、保科はご飯の炊きだしを行い、巨額の義援金を幕府から出させたという。幕府の中には幕府財政を懸念する声もあったらしい。それに対して 保科は「こういう時の為に幕府にて蓄えを行っているわけであり、それを有効利用出来る時が来たということは大いに喜ばしいと考えるべきだ」と退け、窮民救済に乗り出したという。
この部分において、僕が読んだ新聞記事では、今回の大震災の政府の対応と保科の対応を比較するものだった。勿論単純な比較をすることは、却って現実を見えにくくする可能性はある。但し、繰り返すが、日本の歴史は災害の歴史であり、その過去に学ぶべき点は多いということだ。現在、まだ災害が続いている中で、僕らはどのような後世の評価を得るのだろうか。
名君の碑―保科正之の生涯 (文春文庫)
根拠史料が偏り過ぎている。
正之の礼讃本ばかりでなく、もっと多種多様な史料を参照できなかったのか。
名君なのはよくわかるが、ここまで誉めるとちょっと嫌味。
小説としてはなかなか面白い。
二つの山河 (文春文庫)
毎年、年が明けたころ、同期入社の友人らと旅行に出る。
随分と長い間、大分県の別府市だったが飽きてきたこともあって、ことしは徳島県の鳴門市だった。鯛料理に舌鼓を打ち、鳴門ワカメの美味しい味噌汁に満足しながら、ただの観光で「鳴門市ドイツ館」を訪れた。
第一次大戦中、日本軍が攻略した中国・青島のドイツ兵たちの捕虜収容所が、鳴門にあった。管理に当たった松江豊寿所長(大佐)らが捕虜の人権を尊重し、収容された捕虜たちが商店を経営するなど許される限り自由に過ごしたことが館内で詳しく紹介されており、軽い観光気分が吹っ飛んだ。館内で紹介されていたのが本著であった。
「捕虜収容所」と言うと、とかく暗く重い雰囲気がのしかかる。鳴門にあった収容所の運営方針が全国並みだったとも言えないだろう。しかし、大正時代にあって、負けた人、弱い立場の人を思いやることができた日本人がいたことを、本著で垣間見ることができる。
保科正之―徳川将軍家を支えた会津藩主 (中公新書)
徳川家光の弟にして、家光、家綱を補佐した人物 保科正之については、筆者のいうとおり一般に馴染みがない。本書をよむと、徳川政権が武断政治から文治政治への転換を図るにおいて、保科正之の政策が、重要な役割を担っていたことが良くわかる。
秀忠との恵まれない親子関係が、家光という理解者を得て、徳川へのあまりに謹厳実直な忠誠へ向かわせたこと、この忠誠心が連綿と続き会津藩の戊辰戦争での態度を決めたことが、理路整然と記述されており、興味深かった。保科正之という人物が、その事績に比べると、まったくといっていいほど評価されてこなかった理由についても納得のいく説明がある。
私生活の暗いかげを払拭するかのように政務に打ち込み、民衆の信を得て、一時代を築いた、まさに名君ではある。筆者のほれ込みようもかなりのものだが、残念ながら、大河ドラマの主役としての保守正之を見ることはないだろうなぁ。