ヒミズ 1 (ヤンマガKC)
「衝撃を受けた」としか言いようがない。
稲中ファンの人なら「裏切られた」と言うだろう。
だが、前野もすぐ夫も関口も私たち読者に「人生ってなんだ?」という質問をぶつけてきた。ギャグ漫画であるから必ずその答えは井沢やいく夫がギャグで返し、終わって、あやふやにしていた。
「ヒミズ」こそが古谷漫画の集大成。言うなれば稲中や僕といっしょは今までの土台作りであり、序章だったのだ。
ギャグでは伝えきれずに終わってしまった前野や関口の怨念がこの「ヒミズ」となって私たちに衝撃を与え続けている。
難しく見るのではなく、楽ーに見れば前野たちの伝えたかった事がわかるのではないか?
ヒミズ(3) (ヤンマガKC (1040))
古谷実の書いたマンガには狂気が潜んでいる。ギャグ一辺倒見える「稲中」にもその片鱗は垣間見える。彼の絵に出てくる醜いキャラが多く出てくるが、そこから人間の裏側をえぐり出そうという作者の性向が見て取れる。笑いの裏側に見える虚ろな世界、それが古谷実が目指した世界観なのではないだろうか。逆もまた真である。どんなに悲惨な出来事であっても、いやむしろ悲惨であればあるほど、その話は非常にこっけいな話になりうる。視点を変えれて自分を客観視できるかどうかの差だろう。自分の五感で感じる世界から、精神を遊離させて「あの世」から自分を眺めてみよう。そうすればどんな苦しみも苦しみではなくなる。これは仏教的な発想だと思う。「ヒミズ」において描かれる世界ではしかし、主人公は最後まで救われなかった。これも一つの現実だろう。住田は生まれながらにして「普通」であることを拒絶された運命の持ち主だ。その運命を振り払うかのようにもがくのだが、結局は自らの運命に逆らえず最期をとげる。あるたった一つの出来事のせいで、彼はそれまで何とか平衡を保っていた精神をついに病んでしまう。彼の望んでいた心の平和は、結局やってこなかった。結局のところ自責の念以上に恐ろしいものはないということだ。たとえば小学生のときにクラスでウンコを漏らしたこととか、そういう下らないことさえ、その後の人生にトラウマになったりするものである。自分を自分で辱めること以上に人間を内部から破壊するものはないと思う・・・・・。高潔な精神をもつ人間ほど、それは耐え難いものであろう。
ヒミズ(4)<完> (ヤンマガKC (1055))
犯してしまった取り返しのつかないことを罪、「悪いやつ」を見つけそいつの悪事
を阻止して駆逐することで、トレードオフしようと街をさまよう住田。お金はつき、
疲労と空腹のなか、それでも彼が満足することのできる「バカ」と、そいつの犯そ
うとしている罪を阻止することができないでいた彼は、次第に病んでいく。相変わ
らず自分にだけしか見えない「怪物」は消えてくれない…。
「俺は人に迷惑をかけないから。頼むから俺にもだれも迷惑をかけないでくれ」。
生きる意味をもとめないという住田の強靭な「普通への意思」ともいえる価値観は、
彼を取り巻く環境によってどんどん侵略されていき、身に降る火の粉をはらったつ
も りの彼の手はどんどん血に染まっていく。ますます彼は「ふつう」でいられなくなっ
ていくのだ。
普通を追及するがゆえに、普通に偏執していくがゆえに頭がおかしくなってしまった、
いわば普通でなくなってしまったという事態は、きわめてリアリティのある問題だが、
僕らは気づけない。根本にあるのは、その変えられぬ「価値観」の方なのだろうとい
うことを。価値観と世界が対立が決定的になった時、住田は意思を曲げてまで生き
なおすという選択肢は残されていない。ちなみに古谷がこの次に描いた『シガテラ』
があつか う問題は、この作品の問題とネガとポジの関係にある。
茶沢さんが手を差し伸べ導いてくれようとしている''普通''な未来に行ってもいいか
な という一瞬よぎるが、「怪物」はやはり、許してくれないのだ。余りにもダークで、あ
まりにエッジの効いた、キレすぎた青春のマンガ。