味覚極楽 (中公文庫BIBLIO)
子母澤寛が新聞記者時代に各界の著名人を訪ねて、”美味しいもの”について聞いた話をまとめたもの。とくに盛り上がりもないのだが、著者が付け加えた短い後日記とあいまって味覚随筆の名作として名高い。私は伊丹十三が薦めていたので知った。
戦前の話なので、もう食べられないものや無くなった店も多いし、食の水準が上がっている分野もある筈だが、読んでいると毎回いかにも美味そうなのが不思議。天ぷらや寿司が戦前どういう扱いだったかもわかる。
新選組始末記 (中公文庫)
新撰組が鳥羽伏見の戦いで新政府軍に破れてからの行く末は、これまで
司馬遼太郎の土方歳三を主人公とした「燃えよ剣」での記述から得る
知識しか私には無かった。特に甲陽鎮撫隊の動きの詳細や流山での
近藤勇の新政府軍への出頭のいきさつについては全く私の知るところ
では無かった。
この本はそれらの詳細を含めて極めて詳細に精緻に客観的に資料に
当たり実像を浮かび上がらせている。その詳細さは一般の読者に
とっては時に詳細過ぎる傾向が見られる。これも筆者のあくまでも
流山事件に至るまでの実像を捉えたいという情熱の現れであろう。
甲陽鎮撫隊の動き一つを取っても日ごとの行程を細かく検証して
いる。それにしても大久保(勇)(近藤勇の晩年名)は末期症状を
示していた幕府から大名の位を与えられ有頂天になっていたとしか
思えない。日野から日本史に登場した大久保(勇)にとって甲府への
故郷への道は錦を飾る思いであったろう。本来の「鎮撫」の役割から
すれば甲府へ急行しなければならなかったにも関わらずである。
甲府城はそこへ急行した新政府軍に先に占拠されてしまった。
これでは甲陽鎮撫隊の負けが決まったようなものである。
敗れ去った新撰組は、勝と西郷による江戸城の無血開城の前に
流山に集合した。ここに至るまでの記述も、原文を交え説明がある
ものの敷居が高く理解できないところが多々あったが研究者にとっては
貴重な資料の集大成であろう。
それでも、新政府軍に大久保(勇)が出頭する状況の詳細な説明は
私の知的好奇心を大いに満足させてくれた。
本書は一般の小説や歴史書のようにスラスラと読めるものでは
ない。実際私も理解しながら読み進むのに苦痛な箇所もあった。
こんな瑣末なことどうでもいいではないか、と思うこともしばしば
だった。しかし、歴史とはそんな瑣末な事柄の集大成であり、当事者
にとっては重大な事件、出来事に違いないのだ。そこをあくまでも
明らかにしようとする筆者の姿勢を感じた。
日本史上華やかな輝きを持った京都での新撰組の活躍もあり、
戦いに敗れて散り散りになって行く本書で紹介されるような新撰組
もある。私は本書で新撰組の二面性を理解することができたように
思う。流山の新撰組もまた真実の新撰組なのである。
ICHI(7) (イブニングKC)
楽しみにしていたい最終巻ですが。。。なんか「えっ〜(@ @!!」な感じです。。
伏線をいっぱい残したまま、バタバタって放り出しちゃった感じ。
最終回をイブニングには掲載しなかったり、、なんかあったのか?
市と十馬がどのように出会ったのかもわからずじまい。。
もったいない。。
新選組三部作 新選組遺聞 (中公文庫)
実際に新選組を目の当たりにした者にしか分からない描写が、ここにはある。芹沢鴨の暗殺当夜の様子、その後の処理。池田屋事件、そして近藤勇の最期。墓から遺体を掘り出し故郷へ運ぶさまは、悲壮感が漂う。つかの間の華やかさ。それと対照的な末路。これがわずか百数十年前の出来事なのだ。残された家族などのその後も興味深かった。どんな境遇になっても、家族は決して新選組のことを忘れることはなかったと思う。家族としての悲劇が、そこにはあったのではないだろうか。
新選組物語―新選組三部作 (中公文庫)
「新選組始末記」「新選組遺聞」「新選組物語」に書かれたエピソードのほかに、数多くのエピソードがあっただろう。だが、今となってはそれを語る人もいない。それらは歴史の中に埋もれてしまった。私たちはただ、過ぎ去った時の向こうに思いをはせるしかない。
近藤勇は真の武士を目指した。彼は最期のときまで武士だったのだろうか?自分が農民のときを思い出すことはなかったのだろうか?
幕末から明治、日本が大きく変わったとき、新選組があったことをいつまでも忘れない。