書かれていることはもちろんフィクションなのですが、虚実ない交ぜの20世紀史を通して著者が描くのは、市井の人々のかけがえのない人生です。私たちが学ぶ歴史はともすると、偉大な発明家、策略をめぐらすに長けた政治家、名作を残した文豪、といった功なり名を遂げた偉人に彩られた物語になりがちです。しかし歴史に名を残すことなく逝った大半の人々にも、懸命に歩んだ一生があるのです。彼らと偉人たちとの間に命の優劣はありません。著者はこの作品集でそうした普通の人々の、埋もれてしまいがちな人生をそっと両の手のひらで掬(すく)う試みをしているのです。
ヒロシマの被爆者である老婆がポツリともらす呟き。「どうして わたしだけ 生き残ってしまったのかねえ」。何十万という命が一瞬にして奪われた原子爆弾の悲劇にも生き残った老婆は、生きてあることに感謝するのではなく、自らの命に悔悟と負い目を感じる人生を戦後ずっと歩まされています。彼女のような名もなき人々こそが歴史を彩っているのです。この場面は、わずか3コマで描かれているためにえてして見落としてしまいそうになりますが、いつまでも私の心に残りました。
この遠大で深遠な物語を紡ぎあげた島田虎之助という若き才能に接して、私は身震いせずにはいられません。