10.シンドラーのリスト/(SCHINDLER'S LIST/JOHN WILLIAMS )
2004年12月4日岩間市民プラザホールでのホンティラ・クラウディウ氏(Hontila Claudiu)の演奏。10曲目。
Howard Jones - Live in Japan - What is love
Howard jones - live in japan - What is love (part 5 of 5)
WASURERARETA Message (TV-sized) played on a synthesizer
耳コピ&アレンジして「レディジョージィ」OPの「忘れられたメッセージ」(TVサイズ)を弾いてみました。BS2の衛星アニメ劇場で見ていました。当時子どもだった自分には、なかなか刺激的なシーンが多かったです(笑)たぶん今見たらアーサーを一番好きになりそうな気がします。 機材:JUNO-STAGE(音は「001 88StageGrand」を使用しました。) I have arranged the opening theme song of a TV animation "Lady Georgie" and played it on my synthesizer.
【岩国高校】「第7の封印」より第1・2楽章(学生指揮)1978年 金賞
1978年。山口県吹奏楽コンクール自由曲 マクベス作曲『第7の封印』。 県大会・金賞。於:渡辺翁記念会館。 【追憶】 ~「子供たちには、好きな道を、歩ませてあげてください。」~ ・・どこに書き残しておこうかと、ずっとずっと迷っていた話をここに書き残します。 この『第7の封印』の演奏の時、岩高2年生でホルンを吹いていた先輩の話です。 とても明るく、優しくて、部室に『マカロニほうれん荘』のギャグマンガをよく持ってきたりして読ませて笑わせてくれたことなどを覚えています。 この『第7の封印』の演奏の翌年、3年生となった先輩は学生指揮者となり、自由曲『こうもり序曲』で吹奏楽コンクールに挑みます。先輩お気に入りのワルツ。 2年連続・学生指揮者で金賞をとるのだと、岩高吹奏楽部員も皆、燃えていました。 後で知ったことなのですが、この時、先輩は「もし金賞なら音大へ進学、 ダメなら親の希望どおり工学部へ」と、ご両親と約束していたのです。 ・・1979年の結果は、銀賞。 翌春、先輩は地元の国立大学の工学部へと進学しました。 1980年、3年生となった僕達に悲報が届きます。この先輩が、進学した大学の下宿で、自分が指揮を振った定演のテープを聴きながら、亡くなったのだと。 岩高吹奏楽部の部室の前で悲報を聞かされた、その時の情景が忘れられません。 後日。 亡くなった先輩の家に岩高吹奏楽部の何人かで線香をあげに行った時、遺影の前で親御さんから渡された三つ折の演奏会のプログラムのような厚紙のパンフレット。それはご両親によって丁寧に自主制作された、「私たちは間違えました。どうか子供には好きな道を歩ませて」という趣旨のパンフレットでした。 後にも先にも、立ち上がれなくなるほど号泣したのは本当にこの時だけです。 帰り際、先輩の親御さんからあらためて ...