イッツ・オンリー・トーク (文春文庫)
色んな人物が登場する。
主人公を含め、みな性癖がある。闇もある。
でも、この作品では、闇としては描かれてない。
暗く描こうと思えば、どこまでも描ける題材だ。
かわりに、何かあたたかい物が作品を包む。
読み終わると、なぜか、ほっとした。
crystal (完全限定盤)
四年ぶりの新曲ついに発売です!!
初期のLove Againのころのようなバラード3曲と
Dear My Friendsの真白リョウさんが作曲したアップテンポな1曲です。
今までで一番shelaっぽい一枚です!!
歌い方も曲も初期のshelaなので花シリーズで見限った人も気に入る出来です!
今回は宝石コンセプト??次へと続くようずっと応援します!
海の仙人 (新潮文庫)
ほとんど「仙人」のように暮らしている主人公が、
冒頭から「ファンタジー」という名の謎の人物に遭遇する。
この設定からして、
「これから思いっきり浮世離れしたおとぎ話を語りますよ」という、
作者のサインは明らかだろう。
展開の現実性の乏しさに文句を付けたりするのは
いささか筋違いというものだし、
私自身が浮世離れした人間なのかどうか、
読んでいて全くありえない話だとは思わなかった。
この小説の登場人物は皆、
表面上はどこかおちゃらけていたり
根っからのすれっからしのようなポーズを取っていたりするが、
一皮剥けば、直球過ぎるほど直球というのか、
ものすごく真面目でナイーブな人たちばかりだ。
あえて欠点を指摘するなら、
新潟への旅を境に急激にシリアスなものになる後半の展開は、
作者の胸中がストレートに吐露され過ぎているように思える。
少なくとも、「ファンタジー」との噛み合わない会話が、
どこかとぼけた味を出していた前半に比べると、
やや結論を急ぎ過ぎているような印象を受けた。
とはいえ、風景描写や比喩の使い方の確かさは
ちょっと比類のないものだし、
周到に隠そうとしても抑え切れずに溢れ出る
作者のストレートさ加減に
むしろ好感を抱いてしまったこともあって、
☆四つという評価になった。
袋小路の男 (講談社文庫)
主人公の日向子は、女性にとってリアルなのだろうか。ピュアなのか、駄々草なのか、これが今の空気なのか。
読むに連れて引っ掛かりが多くなりながら、引っ掛かりながらも読ませてしまう。読んでしまう。絲山 秋子さんの描く人物の成せる技。
良い小説です。少なくとも内容を短い言葉で表すのは難しい、その空気を持っている小説です。
妻の超然
巧いと感じたのは「下戸の超然」。
だが、何度も繰り返し読んだのは「作家の超然」。何度も読んだ、というか読まずにはいられなかった。
一応小説の形をとっているが、これは完全に彼女の独白だ。
「作家の超然」には、彼女が持つとぼけたユーモアや毒のあるユーモアは存在しない。そこにあるのは、一人の作家が作家としての自分を振り返り、そして自分の立つべき場所を見詰める姿が、(彼女にしては直截な)言葉や文章で叩きつけられているだけだ。胸が詰まる想いがした。
二人称で書かれる「おまえ」は勿論、二番目の兄も、そして「おまえ」と語る第三者(文学の神様?)もすべて彼女自身を指しているのだと感じた。
彼女の小説は主人公や登場人物に自身の姿をある程度重ねる自己投影型だが、あくまでそれは小説の題材として投影させていたに過ぎない。また、自己投影型と書いたが、出来上がる作品には、それを冷静に見詰めるもう一人の絲山秋子の視点が感じられるので、正確には自己投影型とはいえないのかもしれない。
しかし、この作品に投影されているのは作家・絲山秋子そのものだ。
当然、彼女も作家としての自分を振り返ることはあるだろうし、これからの自分を考えることもあるだろう。しかし、いままで、そのような気持ちをまともに作品にするという気持ちがあったとは思えない。自身をあからさまに語ることを厭う作家だと思っていた。
それは間違いだったのだろうか。それとも、彼女の中で何かが起きたのだろうか・・・。
単なる勢いだったのだろうか。もし、仮にそうだとしたら発表した後で後悔しているような気もする・・・。
*何度読んでも意図が理解できなかった部分があった。新聞社を批判するくだりだ。もちろん書いてあることはわかるし、批判の後に書かれる文章との繋がりも不自然ではない。しかし、どうしてもこのくだりに異質なものを感じると同時に唐突なものを感じてしまう。他の方はこの部分をどう読み取ったのだろうか、とても気になるところだ。