心の野球―超効率的努力のススメ
野球に関しては小学校の頃に友達と遊んだ程度の素人です。プロ野球も見ません。
ネットで桑田さんの根性野球否定論を読んで、興味が湧いたので本書を買いました。
(そういう方が意外と多いのではないでしょうか)
結果から言うと、予想通りの内容で、根性論否定論者の私の考えを
後押しされたようなすっきりした読後感があります。
ただ、桑田さんは決して「気合いと根性が無意味」だとは言っていません。
それを養う方法が理にかなっていないこと、また気合いと根性だけで
すべてを乗り切ることはできないこと、を理論的に説明しているだけです。
これは私のような「巨人の星」の野球観しか持たない素人には意外でした。
他のスポーツと比べて、非常にインテリジェンスが必要なのだと感じました。
でも、テレビの野球解説者や、コメンテーター、そして一部の「教えるスキル」の
欠如した少年野球の監督を見ると、正直、インテリジェンスらしきものは
感じられませんし、きっと同じように桑田さんも思って本書を書いたのでしょう。
いろんな意味で、読む人を選ぶような気がします。
全思考
「現代社会の腐蝕を斬る。」なんて書いてありますが、
そんな大げさなものではないような気がします。
といってもそれは悪い意味ではなく、現在のたけしさんの
考えが淡々とつづられているという印象を受けたからです。
育った時代が違うからでしょうか、あまり実感として
感じられなかった部分もありますが、死生観はなんか好きです。
(好きっていうのもヘンですが)
死に近い状態を経験した方だけあって、さすがに説得力があります。
ものごとをいろんな面から捉えることのできる、
非常にロジカルな人だなーと思いました。
鬼ゆり峠〈上〉 (幻冬舎アウトロー文庫)
この種の本の最高傑作は「花と蛇」が定説ですが、この本もそれに勝るとも劣らない作品です。
作品が時代もので、そこに仇打ちと言う設定があり、更に、卑怯な手口で返り討ちに会うと言うもので、その間のいたぶり具合が、SM小説として真髄になっています。
そこには、武士階級と言う裃を着た世界の住人と言えども、素裸になれば生と性しかなく、その強いられる責苦ではあるものの感情の高ぶり興奮は抑えきれないものだと言うことでしょう。
このあたりの描写、筆致は、流石にこの世界での第一人者の風格を感じさせてくれます。
ただ、導入部のお駒や雪之丞・お小夜の部分は無くもがなと言う気がします。浪路・菊之助に話を集中した方が、小説としての纏まりは良かったような気がします。
裁判官の人情お言葉集 (幻冬舎新書)
人情編で、これだけの内容を纏めようとすると、著者も大変ですね。
裁判官も人の子です。事件を担当して、判決を言い渡したあと、裁いた
人に言葉を付け加えるのは、よほどの事情があるのでしょう。
本書を読んでみて、不足していると考えられるのは、やはり、裁判の内容(記録)
の乏しさです。あまり詳細に記述すると、個人情報保護(プライバシー)を侵害
することもあるのでしょうが、『裁判の内容がわからないと、なぜ、この裁判を
担当した裁判官が、このようなお言葉を発したのか不明』ということもあります。
読者の立場からすれば、色々と注文したいこともあるでしょうが、よく、ここまで
纏められたと、敬意を表します。
次回の【犯罪編】を期待します。
刑事と民事―こっそり知りたい裁判・法律の超基礎知識 (幻冬舎新書)
民事と刑事の違いを切り口として、法律制度や裁判を容易に伝えようという啓蒙的な取り組みと思う。
ノリの軽い柔らかな法律書を目指しており、それはそれでよいと思うが、独自解釈で生じた混乱を解決しないで放置しており、読後は、むしろよく分からなくなるという印象。
また、よく読んでみると、実は、本書のポイントは違うところにあるような気がする。
すなわち、終章では、クライアントと弁護士のマッチングの重要性を指摘しているが、実は、それは著者が、弁護士ドットコムというマッチングサイトの主催者であるからであろう。そこだけ力が入っていることに違和感を感じて、自分なりの結論とした次第。
さて、主題の「刑事」と「民事」の違いであるが、こういう書き方がしてある。
制定当時想定されていなかった場合には、刑法を改正する場合もあれば、刑法以外の刑事法を作ることで対処している場合もある。
例としてあげられるのは、道路交通法、軽犯罪法、覚醒剤取締法などである。また、民事法でも刑事罰を定めた条文があるとしており、独禁法や金商法が挙げられている。
さらには、民事的な条文、刑事的な条文、さらには行政的な条文が混在する法律も少なからず存在するという。
つまるところ、実体法の法律単位では、民事と刑事は分類できないということである。
注)日本法は、刑法典以外にも分散的に各法規に罰則が定められていると、「法の再構築〈3〉科学技術の発展と法」は整理している。
また、民事は対等当事者間の争いであるので、国家の「民事不介入」が原則であるが、これは絶対的なものでないという。
例として、「桶川ストーカー事件」から2000年にストーカー規制法ができたり、2001年にDV防止法ができたという。
つまり、国家権力がその気になれば、「民事と刑事」の垣根を乗り越えることはそんなに難しくないという。
個人的には、民事法の権化と考えられている商法に特別背任のようなばりばりの罰則付きの条文があることを素材に取っていろいろ説き起こして欲しかった。
では、結局、「民事」と「刑事」を分けて論じる意味はいったい何なのか、民事上の責任と刑事上の責任は何を基準に分けられるというのか(法律によって決まるというのなら堂々巡りである)が、だんだん釈然としなくなってくる。
さらに混乱を呼ぶのは、第3章の「「行政上の責任」と「行政の責任」」である。
本書に拠れば、法的責任には、民事でも刑事でもない「行政上の責任」があるという。確かにそれは間違いでないが、「民事」と「刑事」を論じるときに、その両者との関係を論じずに第3の責任があるとだけいうのは、やや無責任な筆致ではないかと思う。
第4章以下は、各論が取り上げられているが、どうやら弁護士業界では、「過払い金バブル」が発生しているようだ。
2006年の最高裁判決を援用すれば、直ちに勝訴できるため、案件を集めれば集めるだけ儲かるという構造があることを初めて知った。それで弁護士事務所の広告が最近喧伝されている意味がようやく理解できた。