スクライド ― オリジナル・サウンドトラック I
熱い、熱すぎる。・・・やはりこの楽曲あってこそのスクライドですよ。
まずOPのReckless fireに始まり、本編中にかかるイカすBGM、哀愁ただよう挿入歌、そして絞めにDrastic my soulこのコンボはマジでたまりません!
アルター使いならぜひ持っていただきたい一枚だとおもいます。
あとCDには関係ありませんが次回予告の若本さんカッコよすぎww
Reckless Fire
『スクライド』というアニメはみたことがないのですが
ちょっと興味がわいてきました。
ということで
井出泰彰「Reckless Fire」も買ってしまいました。
個人的には「Drastic my soul」の方が好きです。
「All I need is love」も良いです。
アバウト・ロック・イン・オポジション (ABOUT ROCK IN OPPOSITION) (直輸入盤・帯・ライナー付き) [DVD]
R・I・O(rock in opposition、野党・反体制のロック)を観た。非常に興味深い内容だ。RIOは、ヨーロッパの中で、イングランドの反体制(共産主義主張の)ロックグループ、ヘンリー・カウのドラマー、クリス・カトラーが1978年提唱、スウェーデンのサムラ・ママス・マンナ、ベルギーのユニヴェル・ゼロ(本年初来日した)、イタリアのストーミー・シックス、フランスのエルトン・フー・ツツーブラン等がアンチ・コマーシャルを唱えたロック運動で、いわゆるアヴァンギャルド・ロック(前衛ロック、ジャズ・ロック、チェンバー・ロック、後にベルギーのアクサス・マブールも関わる)のネットワークだった。当時ターゲットとして何の商業音楽(ロック)に対してのアンチだったかっと言うと、ジョン・ライドン率いるセックス・ピストルズやクラッシュなどのパンク・ロックだったのだ。僕は音楽全般、西側産業ロックだと思っていたところ大違い。このテーゼは、ちょっと重要で知りませんでした。70年代末期当時、パンクは、いわばイングランド階級闘争等の下からの突き上げとして反体制の象徴として語られた。(もちろん、これは音楽業界の広報的戦略だったことが後年明らかになるが・・・)このパンクまでをしっかりと見据え、コマーシャルと捉えていたところが、今日まで決してメジャー化しない、アンチコマーシャル音響を世界各国に推奨音楽(レコメンテッド・ロック)として、その時代のオルタナティヴを巻き込みつつ、リゾームのように地下を泳ぎながら拡がり、若いリスナーやミュージシャンを獲得している理由のひとつかもしれない。(もちろん、その背景にはヘンリー・カウが、当初はエクスぺリメンツ(実験音楽)ロックを紹介するレーベルであったヴァージン・レーベルから3枚ほど発表し、その後、ヴァージンがメジャーレーベルとなる際、いらない音楽と烙印を押され、干されてしまうことも要因であると思う)
さらに面白かったのは、フランスのマグマ(リーダーでドラマー、クリスチャン・ヴァンダー)
の証言だ。彼は、60年代後半、音楽に内的宇宙を感じたという。(僕は、ジョン・コルトレーンのインプロヴィゼーションの影響だと思うが)以来、その追求、深化のために自分たちの音楽があり、ヘンリー・カウのように音楽で共産主義を主張するような政治性が全くないことだ。しかしながらマグマも70年代前半、メジャーのレーベルから干されてしまい、そこから自分たちに音楽を続けていくための戦略を考え、実行する。(クリスチャンによれば、「綱渡りで、続けることは不可能と言われたが、いまでも可能だ」と)それはフランス国内でのリスナーをしっかり掴むため、各地方でのコンサートをすること。それも200人程度の入る小さな会場で十分で、「青年に家」と呼ばれる施設を回り巡業(日本でいえば公民館や町民・市民・区民のための公共施設だろう)、コンサートを何回もやり続けることで固定リスナーをしっかりと掴み、自らのレーベルも立ち上げる。このようなマグマのやり方に、RIOの面々は影響を受けたという。事実、ある時期、RIOのユニヴェル・ゼロ・リーダーでドラマー・パーカッションのダニエル・ドウニは、マグマにメンバーとして参加していた。
この相互的関わりは、アンチ・コマーシャルとして生きる上で、非政治的動きをすること自体が生きる政治性をもつようになり、それぞれ相互影響をしていたと思う。又、アメリカに波及する際、素地はできていた。60〜70年代、フランク・ザッパやキャプテン・ビーフーハートとその周縁の反体制、サイケデリック・フラワー・ドラッグムーブメント以降の動きがあったからだ。
今日では、非政治性を貫く音響追及のマグマと、共産主義を主張した政治性のあるクリス・カトラー率いるRIOの面々は横断しながら、合同でフェスティバルを開いている。(ゴングやディス・ヒート、ザオ、マフィンズ、ファウスト、ピーター・ブレグヴァト、ミリオドール、5uu's、ヤニック・トップ等のそうそうたる顔ぶれが見れる)そこには各国からDNAを継承した若いミュージシャンも参加している。ザッパ直系のスウェーデン、マッツ&モルガン、フィンランドのアライエルマン・ヴァサラット、アメリカのシアトリカル暗黒メタル・アヴァンギャルド・ロック、スリーピング・ゴリラ・ミュージアム、シンキング・プレイグ、日本からもマグマの流れがあった高円寺百景、変態高速ドラマー吉田達也、小埜涼子、ルーインズ(吉田達也関連が多い)等も参加、古参のアール・ゾイ(日本にも確か98年来日、神奈川県民ホール野外で冬に無声映画「ノスフェラトゥ」を映写して演奏、とても寒かったのを覚えている)やプレザンは、ユニヴェル・ゼロとの横断合同、17名のメンバーでのチェンバー・ロックを演奏した。(これは僕も見てみたい)さらに、ダグマー・クラウゼ、フレッド・フリス、クリス・カトラーのアートベアーズ再結成など盛りだくさん。(この映像には入っていない。またロバート・ワイアット等が絡んでくるのもうなずける。デレク・ベイリーやスティーブ・レイシーといったカンパニーとの関わりがなかったのか、掘り下げて知りたいところだ)
もしR・I・Oの音響を掘り下げ、調べたい方は是非ご覧ください。98分です。
最後に、1978年頃のユニヴェル・ゼロのコンサートでは、音像が余りにも暗黒すぎて、お客さんの半分が開始10分で帰ってしまったそうだ。