サン=サーンス:交響曲第3番「オルガン」
ベルリン・フィルの演奏は指揮者が誰であっても、どのような演奏に仕上がっているのかがたいてい予想できる。そして、その予想は、まず間違いなく当たる。このCDはアメリカ人指揮者ジェームズ・レヴァインとのコンビによる演奏だが、仕上がりは、やはり予想通り。低弦セクション、ローブラス・セクションの鳴りが今一つで、楽譜のダイナミクスがフォルテ以上の箇所はヴァイオリンとトランペット、ホルンが五月蝿くて、「甲高い」音が耳障りである。(特に、第1ヴァイオリンは鳴らし過ぎで楽器が悲鳴を上げているように聞こえる。)第1楽章前半部は、その傾向が特に強い。そのため、この曲の幾何学的なリズムの絡み合いがバランス良く再現されているようには聞こえない。この演奏の聴き所は第1楽章第2部であろう。弦楽器も大音量で奏でる箇所がないので安心して聴ける。オルガンとオケの掛け合いも絶妙。敬虔なクリスチャンであったサン=サーンスは教会のオルガニストの仕事もしていたらしいが、この部分(第1楽章第2部)には、間違いなく宗教的な「祈り」の要素が含まれている。筆者がこの曲をオケで演奏したときは、曲の美しさに聞き惚れて自分の吹く場所を忘れそうになった。この演奏でも、この部分は素晴らしい。でも、それに続く第2楽章は、やはり、このオケの弱点が出てしまう。第2楽章の第1部はローブラス・セクションの音量と比較して弦楽器(ヴァイオリン・パート)の音量が大きすぎて、バランスが悪いし、ヴァイオリンの音色も美しいとは言い難い。様々な要素を考慮して、この楽章の幾何学的なリズムの連鎖を見事に再現しているとは言い難い。最後の第2楽章第2部は、オルガンをフィルハーモニー・ホールのものを使って、オケと同時録音されているが、もっとオケを押しのけて、豪快に鳴らしても良かったのではないかと思う。この曲は、もともと、教会にある神聖な楽器である「オルガン」を劇場(コンサート・ホール)という「世俗の場」に持ち込んだという、ルネサンスの産物以外の何物でもなく、「絶対的創造主である神の御前では、人間の存在、思考、思考の結果による芸術に価値を認めない」という古い脅迫観念的な呪縛であった宗教観からの脱却という時代背景のもとで作曲されたので、このくらいでよいのかなあと思う反面、やはり、神に対する崇敬の念を否定しているわけではないので、宗教(神)の神聖さ、偉大さを表現するには、オルガンはもっと鳴らして良かったと思う。第2楽章第2部のコーダの部分は「トロンボーンはどこに行ってしまったのか?」と大声で問いただしたくなる。このオケのトロンボーンは本当に「鳴らない」。曲の一番最後のフェルマータは、「いかにも荘厳」という形容が当てはまって、ドイツ・オケらしいなあ、と思うけれど、この曲はフランス人作曲家によるものだ。だが、この演奏には、フランス音楽の洒落っけが感じられない。もっとも、アメリカ人指揮者とドイツ・オケのコンビだから仕方がないかとも思うけれど、やっぱり、人に勧められるかと尋ねられると、「別のコンビによるものにしておいた方が良い」というのが個人的な意見である。例を挙げれば、新しいものでは、プラッソン指揮トゥールーズ・カピトル管弦楽団(EMI)、古いものでは、マルティノン指揮フランス国立放送管弦楽団のもの、フランスのオケ以外では、大御所フランス人指揮者プレートル指揮ウィーン交響楽団のもの(ただし、このオケはチューニングのピッチが少し高いので、自分で楽器を演奏される方は音程が上ずって聞こえます)、さらにはオーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団(TELARC)によるもの、があります。(デュトワ指揮モントリオール響のものは、私は個人的に好きではありません。このコンビによる演奏を「フランスのオケよりよりフランス的」という評論家先生は多いが筆者はそうは思わない。)因みに、チョン・ミュンフン指揮パリ・バスティーユ・オペラ管弦楽団のものも悪くはないですが、第2楽章第2部のオルガンに変なアーティキュレーションを付けていて、それが「個性的」を通り越して「不自然」に聞こえるので、これも個人的にはお勧めは出来ません。
プラッソン指揮トゥールーズ・カピトル管弦楽団(EMI)については、既にレヴューを書いていますので、ご参考にして下さい。
ユリシーズ〈1〉
ジェイムス・ジョイスのそして20世紀の傑作と名高いユリシーズ。分析していくだけで莫大な容量を必要とします。
細かな分析は評論家に任せてここは個人的な私見を書きます。
ユリシーズはハムレットから始まって古今東西の文学のエッセンスをうまく抽出して、小説の中にプロットと共に
うまく融合させています。
あらすじの動きに合わせてそれらの文学の引用を最適に引き出してくる、これがユリシーズの持ち味の1つでも
あります。
おそらくジョイスは古今東西の文学の集大成をどうすればいいのか考えたと思います。
そして小説としての形式の上に1つの引用集というアイデアを浮かんだのではないか?と推測します。
だからやたら古典文学の引用が多い。
勿論これだけがユリシーズの愉しみではありませんが、1つの視点として持っていて良いと思います。
尚、映画ではジャン・リュック・ゴダールが「映画史」という1000もの古今東西の映画の引用を用いて
1つの映画に仕立てました。
20世紀の初めにジョイスが文学を20世紀にゴダールが映画を集大成を試みたのは何とも奥ゆかしい事では
ありませんか!
モンスターズ・インク [DVD]
子供も大好きです!怖い場面が一つもないのでとにかく子供も楽しめます!もちろん大人も楽しいし。ブーもかわいいけどマイク最高!日本語版が爆笑問題の田中さんとまいうーでおなじみ石塚さんっていうのもすごい!ほろっとさせられる場面もありディズニーならではの怪物アニメ!?オープニングもかっこいいので必見です!隠れキャラもあるしいろんな楽しみ方ができますよ!
ウルカヌスの群像―ブッシュ政権とイラク戦争
近年読んだ国際政治関係の本の中でもっとも面白い本でした。このような本こそ良質の政治ジャーナリズムというのでしょうね。またこのようなテーマの先見性を的確に捉え、十分な準備をし、このような著作を出版にまで持っていくアメリカの出版業界の底力にはいつもながら感心させられます。テーマはイラク開戦の主導権をとった六人の政策決定者の35年以上にわたる政治的な経歴と思想的な変貌とを克明にたどり、彼らの最終的に明らかにされるグランドデザインの萌芽と形成をたどることにあり、結果として出来上がった作品は大河ドラマの趣すら感じられます。著者は、冷戦とその終結後という形でアメリカの対外政策を二分する思考法を否定します。むしろ、ヴェトナム戦争での苦い経験を糧に、どのようにしてアメリカの影響力を軍事力をベースに、変化しつつある環境の下で再構築するかに知的構想力と政治的な資源を費やしたアメリカ版団塊の世代の代表者としての彼らに着目します。冷戦を超えたグランドデザインがあったというのは斬新な視角です。そのドクトリンからもう一度過去40年の米国の対外政策を再解釈するのは刺激的な作業です。また痛感するのは、長期的な知的構想力の持つ結果としての大きな政治的な影響力です。明確な論理の展開とわかりやすい英語でベトナム戦争後のアメリカ外交政策の論点を明確に呈示しておりあっという間に読めてしまいます。
モンスターズ・インク 【日本語吹き替え版】 [VHS]
イヤーァ久々にとってもいい映画を観たというカンジでした。日本語吹き替えの声がピッタリ合っていて・・・うーん感動した!!ブーという女の子と二人のモンスターが仲良くなっていくところが自然さを感じさせてくれる。とっても、おかしいけどちょっと切なく心あたたまる。刺激的な映画がヒットする中でこういう心安らぐ映画っていいなー!!!
大人も子供もみんなで楽しめる。