黄昏
南伸坊さんと糸井重里さんによる対談集・・・というか雑談集。
鎌倉・日光・松島・岩手そして東京
アチコチを旅しながら
ひたすら無駄話を続ける二人。
しかも2段組で約400ページという驚異のボリューム。
どの話もハズレがなくておもしろい。
そもそも一貫したテーマや脈略がないので
どこから読んでも全く問題ないし。
これは名著です。
千利休―無言の前衛 (岩波新書)
千利休を描きながら、本書は赤瀬川流芸術論の域に達している名著である。芸術と前衛芸術との位置、路上観察と茶の世界、茶道と侘び寂びを論じながら、日本と世界の対比をしつつ、そこから日本文化を論じている。ここまで解り易い日本文化論を読んだことはない。また、自分の活動から見えてくる日本文化という切り口も読んでいて知的好奇心をたいそう擽られた。平易な文章なので誰にでもわかりやすく、著者の考えをすんなり理解することが出来る。読んで良かったと思わせる書である。
超芸術トマソン (ちくま文庫)
この本の元になった赤瀬川原平の連載が白夜書房のウィークエンドスーパー、写真時代
で発表されてから24年ほどになるのだろうか。一時のブームにすぎないと思われた本書がこ
れほどのロングセラーになって刷数を重ねていると誰に想像できただろう。
トマソン観測は路上観察に発展解消したようなアナウンスが出版元から成されている。
ほんとうにそうだろうか。
無名な人達が発見のおもしろさに突き動かされて、ある者は煙突に登りある者は休暇を
とって街を歩き回った。美しいだけで全く役に立たないものの為に。
そんな有り様が赤瀬川の筆を動かし、独特な(異様と言ってもいい)ダイナミズムがあふ
れた本になっている。
内需拡大→地上げバブル にさらされた東京の町のナマな記録も本書の切り離せないバッ
クグラウンドとして色を放っている。
トマソンとは決して有名な先生達が頭でひねくり出した観念的な思いつき、平凡な物の
しゃれた見立てではなくて実在するものだったと20数年は証明しているのではないだろうか。
また美術・芸術とはなんなのかを美術を学び、志す人には問い直してくる青春の書でもあろう。
(さしづめ美術界のサリンジャー?)
なお単行本、白夜書房版は連載途中での出版のため文庫版
に入っている連載末期の内容は入っていない。写真も若干違いがある。
写真の印刷製版は文庫版がむしろ見やすい。
カバーデザインはどちらも平野甲賀。
本書の前に雑誌「ウィークエンドスーパー」などで連載していた「自宅でできるルポルタージュ」
をまとめたのが単行本「純文学の素」であってその連載途中でいきなり「というわけでトマソンである」
と唐突に始まったと記憶しています。
*「考現学」は今和次郎の発案によるもの(1920年代)。トマソン連載開始当時赤瀬川は神田の
「美学校」で「考現学教室」という教場を担当していた。考現学の手法がトマソンの“下地”
“前史”と考えることはできる。
白洲正子“ほんもの”の生活 (とんぼの本)
この本は、今までに知らなかった白洲正子さんに出会えます。
特に、娘さん(牧山桂子さん)が書いた部分が最高に面白い。
何が面白いかというと、家族だけが知り得る白洲さんのエピソードが満載だからです。
白洲さん本人や、知人友人が書いた文章では読めない、
面白い話が沢山で、
「えっ、こんな人だったの?」「こんな夫婦だったの?」
と笑えること請け合いです。
写真が沢山載っているのも、見応えがあっていいです。
路上観察学入門 (ちくま文庫)
画家であり作家でもある赤瀬川源平氏、建築史家であり建築家でもある藤森照信氏、イラストレーターの南伸坊氏らが中心となり、具体的手法や実践例などを挙げつつ「路上観察」の魅力について語り尽くすという独特な内容。
「芸術」の「作品」を「鑑賞する」ことに対して、「路上」の「物件」を「観察する」ことを重視するのは「博物学」と共通している。日常見慣れた風景であっても、少し見方を変えるだけで世界が違ったものに見えるというのは、確かに興味深く共感できる。
具体的には「見立て」という言葉を用いるなど、学問として考えようとしているところがふざけているのか本気なのか、微妙なところ。女子高生の制服や道路のマンホール、看板建築、路上のゴミ箱、河川の浮遊物、ペットとして飼われている犬などが「観察」対象として挙げられており、その成果?が克明に報告されている。
恐らく一般の通行人から見ると怪しいとしか思えない行動を名のある大人達が取っている姿は、何とも不気味でありながらも微笑ましい?感じがする。特にリーダー?の赤瀬川源平氏は「超芸術トマソン」なる言葉を編み出し、そのコレクションは書籍としてもまとめられている。
トマソンする:街中の建造物や道路に付着する、無用の長物でありながら美しく保存された不可解な凹凸を発見し、記録、報告すること(抜粋)
言うまでも無く、この「路上観察」は、関東大震災の焼け野原から始まった今和次郎・吉田謙吉氏による「考現学」の流れを組む活動であり、膨大な情報量が飛び交う現代、そうした「無用の用を発見する眼」こそ豊かな生活を送るためには必要なのかもしれない。