ひとは化けもん われも化けもん
第一印象は読み難いこと。助詞のてにをはを省いた地の文はリズム感が無く、最後まで慣れることはなかった。同じようなものに文楽(人形浄瑠璃)の床本があるが、こちらは太夫が三味線の調べに乗せて語る文章だから、リズムがあり、読み易い。本書も試しに音読してみたが、やはりリズム感が無い。
これに対して会話文の上方言葉は、上方歌舞伎のせりふを聞くようで楽しめた。当時の、当地の雰囲気が出ていて良い。
内容は、井原西鶴が俳諧の世界における自身の立ち位置に惑い、苦しみながら、草子に手を染めるというもの。「好色一代男」以外は偽作となって行く背景の描き方は説得力がある。しかし内容以前に、読むのに一苦労で星3つ。
ひとは化けもんわれも化けもん (文春文庫)
「好色一代男」などを書き、日本文学史上天才と名高い井原西鶴。しかし、「好色一代男」以外の作品は、西鶴でない何者かの筆によるものであるという、贋作説がある。その説の謎解きを試みているのがこの作品!!
いつもへらへらとしてあか~ん性格ながら、出世欲は人一倍の西鶴。当時隆盛を極めていた俳諧の世界で名を目標に、同時代の俳人・芭蕉にライバル意識を燃やし、「風雅」の俳句などなんだ! 大事なのは人の心、わしは人の間に吹く風「風俗」を表現してみせるのだと、懸命だった。しかし思うように作品は認められず、あげくにはあいつの俳句は色モノだなどとコケにされる始末。生活の金にすら困った彼は、ある版元に当面の生活費を用立ててもらう代わりに、当時流行の草紙を書くことを約束させられる。「草紙がなんだ! わしは芸術を志しているんだ、俳諧の世界で名をあげるのだ」と息巻く西鶴は、女子供の読む草紙など、決して書こうとしない。しかし、俳諧の弟子である団水なる人物が急接近し、嫌がる西鶴に無理矢理草紙を書かせるよう仕向けてきた。その団水の意図やいかに??
その知名度のわりに、私生活はほとんど知られていない江戸の天才・井原西鶴その人の人生と、周辺の人々との関わりを、味のある大阪弁で、スリル有り、笑い有り、涙有りで描かれています。
歴史ミステリーとしても、人情小説をしても、充分に堪能できる一冊です!
春の海・六段 筝の名曲
正統派な箏の名曲集で、個人的にも大変聴きやすかったです。筝曲としてなじみのある曲が多く、子供の筝曲入門で聞いてもいいかもしれません。ただ私の好みでいうと、「砧」がはいっていればさらに良かったと思います。
声明
真言宗のなかでも近代まで秘されてきた理趣経ですが、その全体が経本通り省略なく収録されています。25分近くある長い読経ですが、聞いているととても気持ちが落ち着いてきて大きなものに包まれる感じがしますよ。音だけに身を任せてみてください。
箏曲「六段」とグレゴリオ聖歌「クレド」~日本伝統音楽とキリシタン音楽との出会い~
11世紀〜17世紀に作曲された6曲のクレドのうち どれが六段の調べのもとになった曲なのでしょう。現代のグレゴリアン聖歌で歌うクレドの曲とはかなり隔たりがあるように感じます。高山右近のふる里 豊能郡高山の西方寺でミサをしたときに、このCDをラテン語のテキストとともに味わいました。右近の祖母は、右近親子が洗礼を受けた翌年元琵琶法師ロレンソから洗礼を受けジュリアンを名乗り、自らの庵をオラトリヨ(祈祷所)としてジアンと名付け京都のヴィラ神父を招きミサを村人共に与ったという記録があります。400年前の当時の人々はラテン語のミサに与っていたので、確かに、この曲を聞き、クレドをラテン語で唱えていました。お寺のお坊さんも感銘を受けておられました。70代の信者さんは、この話をすると、いまだラテン語のクレドを空で覚えている人がおられて、とても懐かしく喜んでおられました。日本の独自の音楽の中心部に西洋の音楽グレゴリアン聖歌と信仰の箇条をまとめたニケア・コンスタンチノープル信条が隠されていたとは・・・研究発表された皆川先生に敬意と感謝をささげます。 (田舎司祭)