駒、玉のちりとなり (講談社Birth)
個々の単語や語句の表現が美しい。文章テクニックも凝っている。ただ、それらに目が行ってしまい、肝心の全体の流れがわからなくなることたびたび。「あれ?今何がどうなっているんだっけ?」というような。個々の語句の自己主張が強いってことかな。
講談社Birth文庫の発刊の辞にあるように、「若さとは荒削りで未熟だ。しかし、未知の可能性を秘めている」。このコンセプトどおりの人材を発掘した講談社の担当者は目利きだと思う。
これが10倍の分量だったら「一大叙事詩」とか書評されそうだけど、今の状態だと「読みにくい」が強く、それほど強く推薦できない。よって、書籍化よりも映画化・ドラマ化されたほうがこの話はいけそうな気がする。
ただ、ところどころで「渡来人」との表現があるが、日本史の一次資料ではすべて「帰化人」と書かれているはず。なぜなら「渡来人」というのは戦後に作られた言葉なので。この辺は井沢元彦の「逆説の日本史」第1巻に詳述されている。6世紀の日本を扱うのに「逆説」を読んでいないのは片手落ち。
あと、本の内容とジャケットのイラストがマッチしていない。
地球儀S26-61V(地勢)
小学生の息子用に購入しました。
自分も1年生になった時に同じような地球儀を買ってもらったので。
他の候補として、インテリアにもなる古地図風のデザインのものも考えましたが、
見やすいのが一番だと思います。
海ややっぱり茶色ではなく青がいいと。
学校教材の地図帳によく使われている帝国書院のものなので、安心感があります。
テレビを見ながらときどき地球儀で場所を確かめたりしています。
陸の人よ
包み込むような歌声は、広い草原や海を想像させます。生命力あふれる力強い歌声、けれどけしてその力強さは何かに対抗するものではなく、包み込む優しい強さなのです。
なのに、なぜか聞いてると、繊細で痛々しいぐらいせつない気持ちにもなってくるのが不思議です。
声の包容力と歌詞のせつなさのバランスが絶妙ですね。
静かなる旅人
旅行記が好きなので、最初は書名に惹かれて読み始めた。私は詳しくないので知らないが、本書に添えられた紹介を見る限り、著者は著名な画家である。
内容は、1962年、フランスに生まれた著者が単身で、文革後の中国に10年にわたって留学し、自らが求める“美”を探求し続けた半生記。
第1章では、美大生であった著者が日本や中国の風景画、「書」などと出会うまで、第2章では、交換留学生となった著者の中国までの道程が描かれる。
正直なところ、第1章を読んだ段階では、幸運な美術学生が、熱意だけを武器にして中国に留学し、そこでの経験を書いただけだろうと考えていたが、第2章を読んでから、考え直した。ここで描かれたことを人目に晒すには勇気のいることであるし、また、そのことを書かないで済ますことも可能であったはずだ。しかし、著者は隠すことなく描くことによって、自分が中国に渡る時の、覚悟と犠牲を明らかにしている。
第3章以降は、文革後の中国で吹き荒れる伝統文化否定や官僚主義と著者の闘い、そして美に対する熱意、その中での様々な人との出会い、切り拓いた道筋が描かれている。そして、著者が、天安門事件当時も、四川とはいえ、中国国内にいただけに、リアルな状況を伝えてくれている。
また、297ページから300ページの、著者の見た現代中国の問題点と著者の書道の師・黄原(ホアン・ユアン)氏が語った芸術家のあるべき姿も忘れられない。
美術とは直接関係ないが、179ページから180ページで描かれる、茶館での老人とコオロギに関するエピソードも強く印象に残った。
「訳者あとがき」でも触れられているが、現在の中国に対し、真に“ニュートラル”な立場で判断するのは、多くの日本人にとって難しいことになっている。明治維新で“断絶”したものに、中国やその文化への圧倒的な“敬愛”がある。維新後は個人的なレベルではともかく、全体としては中国やその文化は“敬愛”の対象ではなくなっている。それが、近年、さらに加速している。
しかし、漢字を含め、日本文化に中国文化が与えた影響は計り知れない。そして、本書は、文革の後も生き残った中国の伝統文化の素晴らしさを改めて認識させてくれると同時に、中国と日本の文化の深い繋がりに、自分がいかに無知であったかを気付かせてくれた。
翻訳に関して注文を一つ。257ページに引用されている漢詩が翻訳だけの掲載であるのはおかしい。ここは、この漢詩を中国人が「書」として書いたという内容なので、原詩を載せなければ、意味がない。