科学と宗教と死 (集英社新書)
とにかく、
先の戦争を経験した人たちには、
伝えておいてほしいことがある。
それは、
戦争でどんな経験をしてきたか、
そのことだが、この本のなかでも、
著者自身の経験が記されている。
そして、
現在の日本、3・11後の日本のありかたを、
過去を知っている人の目から、
感じたままのことを書いていてくれてるのが、
ありがたい。
どうも、
世代を超えて伝えられるべきことが、
伝えられないまま、
科学・論理・効率、
こういったことばかりに偏りすぎて、
人間自体が置き去りにされているような
そんな気がしていたので、
それらとはまったく反対の
「宗教」というものを、
人生の先達が語ってくれることに
ありがたさを覚えた。
傾斜しすぎてもいけないのですが。
死者の奢り・飼育 (新潮文庫)
彼の作品を読んだのは、これが初めてです。文章が上手で、ストーリーもしっかりしているので苦もなく読み進めていくことができました。
どの短編にも共通して、表面的には難しい思想を取り入れていないようで、しかし内には深いメッセージが隠されていると感じました。それをあんなにサラッと読者に読ませてしまうとは、敬服します。
文学初心者でも読める大江氏の傑作短編集です。
大震災のなかで――私たちは何をすべきか (岩波新書)
震災関係の本を読む機会が多い。本書の感想は三点だ。
一点目。33名もの筆者を集めた本であるだけに、一冊の本としての一貫性に欠ける。
「一貫性は欠けても良い」という編集方針なのだと思う。しかし僕個人としては、もう少し底流に一本通ったものが欲しかった。
若しくは、どうせ一貫性を欠けさせるなら、全く逆でも良かったかもしれない。
例えば原発推進派や官僚、政治家からも寄稿してもらう等、もっと混乱した内容でも良い。世の中の議論自体は十分混乱しているわけであり、その混乱を一冊に盛り込むという編集方針があっても良いのではないか。
二点目。本書に寄稿している方は実に様々な立場から書かれている。これはとりもなおさず人間の生活や社会は実に様々な立場から成り立っていることを示していることに他ならない。
災害が来て分かることは、災害は人間の社会の断面をむき出しにするということだ。今まで見えなかったこと、隠されたことが白日の下に曝される。福島原発を巡る深刻な災害の中で、僕は幾度も自分が全く何も知らなかったことを知らされた思いだった。地表だけ見ていると平らな土地でも、地層が現れると、色々なものが色々な形と色で地面に埋まっていたことが分かったということだ。
三点目。本書を読みながら「力」という言葉を幾度も考えた。
いささか失礼であるかもしれないが、本書に寄稿されている方の「力」とは個々を取り上げてみると決して大きいものではないと思う。微力なものが集まって大きなうねりになってほしいという願いが本書の底流には流れている。では、微力なものが集まって大きなうねりになるかどうかということだ。
今回の原発災害で見えたことの一つとしては「権力」側が、全く一枚岩ではないということである。彼らの失態は「全体最適を口では唱えながら、やっていることは個々の組織の為の部分最適である」という点に尽きる思いがする。
政治家も電力会社も官僚も、お互いに自分の為だけの「部分最適」だけを追求していないだろうか。そうであるからこそ、本来タッグを組んで原発災害に当たるべき当事者が御互いにいがみ合う図式になっているのではないか。
そう考えると微力側にとっても、つけいる隙が出てくると思う。但し、そこからは日本人が国民としてどのような知力を発揮するかという点に掛っているとも思う。
美しい日本の私 (講談社現代新書 180)
学生時代に英語のテキストで用いたのが、サイデンステッカーさんが訳した『美しい日本の私』でした。
学生だった当時は、こんな回りくどいことをせずに川端さんの著書を読んだほうがわかりやすいはずと
思っていました。
けれど、あとになって考えると、先生は「訳」に学生の目を向けたかったのかもしれないと思うように
なりました。
サイデンステッカーさんの訳文を私たち学生が和訳しても、決して川端さんの文章にはならない。
なんとか文法にしたがって訳するのに精一杯でしたから。
言葉が人の思いを表現するのに十分な役目を果たし得ているかといえば、難しいでしょう。
ましてや翻訳となると…たいへんな作業ですね。
そういう気づきを与えてくれた本でした。