コミュニティデザイン―人がつながるしくみをつくる
序盤でコミュニティデザインの定義について触れていたが、ほとんどの人が現在必要とされるコミュニティデザインの意味を理解してはいないだろう。
山崎さんの実践から、どのようにコミュニティをつくっていけるのかが分かりやすくまとめられている。
デザイナーときくと、オシャレな、洗練された「モノ」をつくる人だと思いがちだが
ものをつくらないデザイナーをもっと評価すべきという一言は、山崎さん自身も建築・ランドスケープに携わっていただけに説得力があるように感じた。
ちなみに、ブックカバーを外すとオシャレな高校球児のような山崎さんがご覧になれます。
あなたが世界を変える日―12歳の少女が環境サミットで語った伝説のスピーチ
国連の地球環境サミットで、私と同じ12歳の少女が、
世界各国のリーダーたちを前に6分間のスピーチをしました。
いつしか「リオの伝説のスピーチ」と呼ばれるように
なりました。私は、ぜひこの本を手にとって欲しいと思います。
もしかしたら、この1冊の本であなたが変わるきっかけになるかもしれないから・・・・。
この本は、主に、大人の方達に呼びかけている本ですが、
子どもの私でも感動しました。そんなスピーチで私が
一番感動した文を紹介します。
「あなたたち(大人)はいつも
私たち(子ども)を愛しているといいます。
しかし、いわせてください。
もしそのことばがほんとうなら、
どうか、ほんとうだということを
行動でしめしてください。」
もしこの言葉で感動したのなら、
本を買い、私と同じ感動を味わってみてください。
きっと、いままで読んだ事のない感動を
お楽しみ頂けるでしょう。
もう1冊、ゼヴァンの「わたしと地球の約束」もおすすめです。
これが見納め―― 絶滅危惧の生きものたち、最後の光景
著者の本は初めて読む。「SFユーモアー作家が絶滅危惧種を世界中に見に行く」という本という前提知識だけで軽く読み始めたのだが、まず、リチャード・ドールキンス(「利己的な遺伝子」のドールキンスである)が序文を書いているのは驚いた。ノーベル賞学者が序文を書いているからどうというわけではないが、この段階で学術的にも「まとも」であると先入観を持ってしまった。
その先入観は正しかった。
20年以上前に書かれた本書が未だに読み継がれているのは、まず、面白いこと、次に、内容がしっかりしており、事実関係は変化しても、筆者の考え方自体はまったく古びていないことが挙げられる。訳注に原書が書かれた後の状況がフォローされているが基本的に変わっていない。
本書はイギリス的ユーモアーがそこかしこにちりばめられている。例えば、
・ザイールへキタシロサイを見に行く時、伝道団の飛行機で行くこととなった。離陸時に、パイロットが「おお主よ、わたしたちの命を御手に預けます」とアナウンス。筆者たちは関節が白くなるほど拳を握りしめていた。評者は自分が同じ状況だったたら同じように緊張しただろうが、笑ってしまった
・揚子江でヨウスコウイルカを見にいった時、河の中の水音を拾うため、マイクにコンドームを被せる必要がでてきた。20年以上前の中国である。話が通じない。やっと相手が理解したと思ったら、怪しげな錠剤が出てきた。笑った。
もちろん、扱われる動物たちの状況は深刻で、BBCのお墨付きがなければ、近づくことも許されないようなところもあっただろう(例えばニュージーランドのカボカ。この飛べない、「敵」という概念をもたない鳥は、評者の一番のお気に入りである)。筆者達はただ見るだけなのだから。けれど、メディアにのることで、現地の政府の考え方が変わったり、寄付が集まったり、世界中の人が認識を変えたり、プラスの面もある。
筆者の文が過度に同情的でなく、深刻でないところも良い。
これら、絶滅危惧種が「絶滅」に瀕する原因が人類にあるのは確かだ。世界で数十匹しかいない動物を保護するのも当然といえば当然だろう。
ただ、やり切れない例がひとつ(ひとつだけではないが)。前述のカポカはニュージーランドのコッドフィッシュ島に住んでいた。人間が連れてきた猫が野生化し、カポカをどんどん食べって言った。そこで人間は猫を片っ端から殺しまくり、カポカは猫のいない別の島に移送することになった。猫もカポカも哀れだ。しかし、他に方法が無いのだ。
絶滅危惧種を保護する事に対し、種の保存は貴重な遺伝資源を絶やすことになる、生態系の破壊につながる等の「正論」的理由付けに、無論、評者は反対ではない。
しかし、評者は筆者と同行した動物学者マークの言葉の方がしっくりくる。
「単純な理由----かれらがいなくなったら、世界はそれだけ貧しく、暗く、寂しい場所になってしまうからなのである」