氣志團現象3 朝日の中のレクイエム [VHS]
メジャー・デビューでビデオを3本出すのも凄いけど
音楽性の幅広さは凄いです。
ヤンキーなルックスに騙されてはいけませんよ!
演奏はとても上手だし、言うこと無しです
じゃりン子チエ 劇場版 [DVD]
この作品の舞台となった(であろう)西成の荻之茶屋近くに住んだ事もあるコテコテの大阪人の私からみても、この作品のあそこで暮らす人たちの気風や街の空気感の再現は、見事としかいいようがありません。
この劇場版、またはTVシリーズが関西を中心に一世を風靡していた頃、私はチエの目線で見ていました。
そして四半世紀がたち、テツやヨシ江の世代となってこの作品を見返してみると、子供の頃には気付かなかった面白さやキャラクターの心の傷が感じ取る事が出来て、驚かされます。
この劇場版は一時間五十分。濃縮した世界観の中でも笑わせ、泣かせてくれますが、その中でも屈指の名シーンが親子三人で出掛けた遊園地帰りの電車でのシーンでした。
「水道の滴がペタペタ顔にあたってた... うちでも直せるやろか...」
人間の心の機微を繊細に描く、高畑演出の真骨頂です。
また、チエとテツの声を担当した中山千夏と西川のりおに関しては、本当にこの二人しか有り得なかった。
特に西川のりおの方は、どこをどう聴いても西川のりおの声なのに、劇中ではテツの声にしか思えないのが不思議です。
この劇場版の後TVシリーズが始まりますが、そのTVシリーズのプロローグともとれるこの劇場版『じゃりん子チエ』
まだ一度も観た事がない人でも、笑わされ、泣かされ、どっぷりハマる事は間違いないかと...
ぜひご覧あれ。
「観たってや〜」
名場面にメッセージを書こう★コミックスメモ(巨人の星)
なつかしの漫画のメモ帳。
「仲良し同士で使用しよう」とのことだが、仲良し同士ならもう少し大きいサイズでもGOOD。
小さくて、最初はミニ本だと思ってしまった。
これは、自分用とプレゼント用と使用用(←使用用…。そんな言い方はしないが普通)にまとめ買いだ。
漫画に明るい職場で、上司もそうなら、職場でも使える?
あしたのジョー 全12巻セット (講談社漫画文庫)
作品は古い。しかし新しい。感動の大巨編である。殺し屋・死神とまで言われた矢吹だが、彼ほど人間的な主人公がかつていただろうか。人間としての落ち込み具合が凄まじく、絶妙な泥臭さが滲み出ている。漫画界の堕落論である。
力石を死に至らしめたテンプルへの一撃、これにより矢吹は顔面への攻撃を無意識に避けてしまう。意図的に顔面攻撃するが、度重なる嘔吐で中央リング界を追い払われる。「拳闘はどこだってできる」という信念の下、ドサ回りのリングへ歩むジョー。胸が苦しくなるほど切ない凋落である。
金竜飛戦での減量で矢吹は完全に力石の亡霊を断ち切ったと私は思う。骨太な体に無駄のない肉体、フェザー級の破壊力とバンタム級のスピードを手に入れたからだ。「俺はバンタムで生きる」と語る矢吹はバンタム級で死を迎える覚悟を決めていたはずだ。
乾物屋の紀子に「ボクシングで明け暮れる青春は寂しくないの?」と問われ、「完全に燃焼して真っ白な灰だけが残る。後には何も残らない。死にもの狂いで殴りあうことに充実感があるんだ」と答える。「矢吹くんに付いて行けない」と紀子に見切りを付けられても、無言で佇む矢吹はニヒリズム・男の哀愁を漂わせる。私の最も好きなシーンである。
カーロス・リベラやハリマオ、ホセ・メンドーサとの対戦も魅力的だが、全体として言えるのは、エスタブリッシュメントに対する矢吹の闘いこそ、この物語の真髄なのである。ドヤ街・少年院・ドサ回り・孤独・減量・喝采と罵倒、そして廃人・・・。これらのキーワードがまさに矢吹そのものなのである。人間の底辺から幾度となく這い上がる矢吹には、いわば昭和の果実が凝縮されているのだ。貧しさを乗り越え、生まれや出自を拳ひとつでブチ壊し、一躍スターダムにのし上る。それでいて決して完璧ではなく挫折もする。パンチドランカーに蝕まれた不完全な英雄、そこを読者は支持したのだ。感銘を受けたのだ。熱狂したのだ。例の有名なラストシーンのように、貧しい戦後日本人は誰しも真っ白な灰になるまで燃え尽きたい心情を持っていたのである。矢吹こそ戦後の日本人が胸に抱き続けた東京ドリーム、伝説に他ならない。
著者は一貫して安っぽいハングリーさではなく、男のエンブレム(紋章)こそを重視している。つまり勝利への飽くなき探究心よりも、男のプライドを描きたかったのだ。豊かになった現代日本では、男の誇りはおろか、ハングリー精神すらない。だからもはや「あしたのジョー」を超える作品は有り得ないだろう。