世界金融危機 彼らは「次」をどう読んでいるか? (双葉新書)
初めてレビューを書かせていただくものです。
やはりギリシアはデフォルトするしかないんですね。。欧州各国の危機への対応が遅すぎると、ソロスが憤ったのもうなずけます。欧州はもうダメ、アメリカはとっくにダメ、中国もダメになっている……日本はどうなるのでしょうか? このままではダメなのでしょうが。。
経済とひと口に言っても、国際情勢のすべてが、経済に影響していることがよく分かりました。一国だけが生き残るとかではなく、運命共同体のシステムに覆われているんですね。この本の著者は、「要はこういうこと」と一刀両断にズバッと書いてくれるので、分かりやすかったです。
私も明日からの生き方の参考にしようと思います。
日本再占領 ―「消えた統治能力」と「第三の敗戦」―
ウィキリークスによるアメリカ公電暴露は日米関係の深層についても興味深い事実を明らかにしてくれた。それは一部既存メディアでもひっそりと伝えられたが、肝心の中身の分析よりも、暴露を非難する政府関係者のコメントを大々的に報じることで、全てを「無かったこと」にするのに懸命である印象を受けた。中には暴露された事実と真逆の「真相」を示して意図的な事実改ざんを行う新聞コラムまで見られ、この国の言論統制ぶりを改めて見せ付けられた。
そんな中、本書は明らかになった公電を仔細に分析し、極めて妥当な俯瞰図を示してくれている。
「外交の継続性」という大義名分の下、我々主権者国民には国の進路を決断する権限が基本的に与えられていないという現実が、わが国外務官僚の数々の言動により示されている。
また本書は類書と異なり、官僚と対峙する政治家による改革の限界も冷静に指摘する。民主党の政治家が国民世論を背景にして官僚と対峙した場合、公務員たる官僚の時間軸の長さを十分に見据えた戦い方をしなければ勝ち目はない。そして現実に今、まさに敗れつつある。
数年に一度の選挙もせいぜい高速道路の料金や「子ども手当」などの枝葉の再配分を問うものでしかないという苦い状況を、いつまで我々は受け入れ続けなければならないのだろうか。
「統治」を創造する 新しい公共/オープンガバメント/リーク社会
「統治」、「オープンガバメント」といった概念について哲学・社会学・経済学など様々な側面から書かれた論文集。
個人的には思想史的な流れをくんだ3章と4章、法哲学的見地を盛り込んだ7章が従来の興味と重なっているが、論者の多様性が自分のこれまでの観測範囲外からの面白い話が”良いノイズ”として紛れ込みやすくなっているので、一冊の本としてはお得な印象を持つ。
特に、これは「あとがき」で編者の塚越健司も書いているが、学者からビジネスの実務家、批評家など幅広いジャンルの書き手が名を連ねており、この一冊だけでもそれなりに多角的視座を取得できるような作りになっている。
例えば「震災時のソーシャルメディアによる有用性評価」という点では、5章は比較的良い方向で捉える一方、6章や9章では否定的に書かれている。そもそもネットが利用できる環境に”被災地”があったのかということについては、震災から少し経過した後で頻繁に語られるようになったが、この辺の評価の差も出自や視座の多角性を象徴しているように思う。
ただ、そのような良い点と表裏一体の話ではあるが、もう少し読み込んでみたいようなモノも中にはあり、これは今後の各筆者の活躍に依るところだと思う。
飽きっぽい性格だが一気に読めた。ただ、.reviewが事実上停止状態なのが個人的には悲しい。それは、.reviewという媒体そのものがオープンガバメント性を有した、これまでの評論系同人誌には無いものだと感じていたからだ。
本書の元は、その.reviewの勉強会だという。そのフィロソフィーは別な形で継承されることを(偉そうに)期待しています。
この国を壊す者へ
文体がこれまでの佐藤優氏の著作とは異なる印象を持つ。それは文章一つ一つが言い切り型が多く、遠慮なくズバズバ相手を斬りつける感が強いからであろう。これまでの氏の文体は、事実を述べながらも、相手をグサリとやるのではなく、証拠をバラマキながら遠くからじわじわ締め上げて行くような文体であった。
この本の内容は週刊アサヒ芸能に「ニッポン有事!」と題して連載した文章であり、文中で氏も述べているが、「(内容を)できるだけ面白く書くようにつとめている」とのことだ。一定の読者層を想定して書いていると思うので、読みやすい内容となっている。
ただし、「事実を曲げたり、水準を落とすようなことはしていない」とのことなので、読んでいて気持ちが良い。一つずつの単元がテーマを持った読み切りとなっているので、どこからでも読める。
ウィキリークス以後の日本 自由報道協会(仮)とメディア革命 (光文社新書)
小沢会見で自由報道協会(仮)の存在を知り、設立の中心メンバーである上杉隆自身に興味を持ったので、読んでみました。
他の著書は読んでいませんが、本書を読めば、上杉氏の考えはおおよそつかめるのではないかと思います。そもそも、その主張自体はいたってシンプルなものです。
読んでいくと、端々から、今の日本のジャーナリズム(主に新聞をはじめとするマスコミ)へ対して上杉氏が抱いている強い危機感が感じ取れます。
欧米メディアに比べ閉鎖的であるということ、政府と結びついて情報統制をしているということ、そしてそういう問題の温床となっているのは「記者クラブ制度」であるということ。
そして本書の最後では、ウィキリークスの出現により、もはや情報を完全に管理することは不可能という前提になるだろうと予測しています。そして、私たち一人ひとりが多くの情報を得て、そこから自分で考え行動すべきだといっています。
この提言は、私たちみなに重くのしかかってくるものだと私は思います。
今、日本のジャーナリズムは変化し始めています。それは小さな動きかもしれませんが、確かなことです。
それに対して、私たちもなんらかの反応をしていかなければなりません。今よりもっともっと多面的な情報が手に入るようになる可能性があります。そうなれば、自分がどういう考え方をしていくか、その選択肢も増え、より深く考える必要が出てきます。例えば中東諸国のように、政府に強い不満感を持っている人が大多数という訳ではないこの国では、情報を手に入れ問題を見つけ考えるということを、自覚的に積極的に行わなければなりません。
ジャーナリズムの変化に対して、私たちはどう変わってゆくのでしょうか。