薔薇の名前〈上〉
本書は、記号論などで著名なエーコが小説を書いたと言うことで有名な作品です。でも、そういうことに関係なく、これは素晴らしい推理小説です。読んでみるとすぐにわかるのですが、これはアーサー・コナン・ドイル卿のシャーロック・ホームズのパスティッシュなんです。西暦1327年のベネディクト会の修道院を舞台に設定にし、事件の鍵に写本が使われています。修道院で起こった修道僧の殺人事件の謎を解くために、院長は偶然滞在中のバスカービルのウィリアムに犯人探しを依頼します。バスカービルというだけで、シャーロック・ホームズファンならば、バスカバービルの犬を思い出しますね。ウィリアムを始め、すべての登場人物は、それぞれ印象的な性格の人物で、だれもが過去に何かを持っているという!感じです。また、当時の修道院や村の様子、フランシスコ会との確執、宗教裁判の話題が巧みにからめているのも面白いです。本当に、この小説のどこをとっても、引き込まれてしまい、読み出したら止められません。第一級のエンターテイメント小説です。
もうすぐ絶滅するという紙の書物について
本の虫、という言葉があります。
本書の3人は、まさにそれ。(正確には、エーコと
カリエールという碩学、それに進行役のトナック)
基本的には、書物談義なのですが、出てくる、出てくる。
時間軸を縦横に、世界を書物と、関連する博識で読み解き、
前キリスト時代、から、最近の話題まで、古今東西(西洋中心
だが)の歴史、宗教、思想をとりまぜて、発想は自由自在。
書物の収集家でもある二人の、書物への偏愛を、これでもか
のうんちく披露の連続。あっけにとられます。
また、書物だけではなく、人間の脳の威力を感じられる、
変幻自在の引用。映画、歴史、宗教、哲学、錬金術、芸術、
なんでもござれの二人の博識には、ただただ脱帽です。
タイトルのは、いかにも、電子書籍やネット上での知識の
時代への変遷を語る、かのように思わせますが、とんでもない。
彼らは、紙の書物は、それができたときから、すでに完成した
形態になっており、昨今のような、デジタル機器やPCで読む
メディアのように短命ではなく、電気が不要で、普遍のメディア
である、という偏愛と自信が垣間見えます。
本書の体裁から、一見、固くとっつきにくそうな印象を与えますが、
読みやすくこなれた翻訳で、あたかも、舞台の二人の対談を
観客として楽しんでいるかのような錯覚をもつほど、知的娯楽で
遊べる本です。
薔薇の名前〈下〉
「週刊文春」20世紀傑作ミステリーベストテンで堂々の第2位。しかし本書を純粋なミステリーや推理小説だと期待して読むと、いい意味で裏切られます。
確かに筋立ては中世の僧院を舞台にした連続殺人事件を中心に展開しますが、本書の主題は謎解きの面白さというよりも(純粋に謎解きという面からみた場合、トリックの奇想天外さや手がかりの配置の巧みさ、という点ではむしろ不十分かも知れません。)、古典文学や神学の知識を縦横無尽、幾重にも織り込んだ舞台設定を堪能させながら、殺人事件の解明というストーリーを通じて、「真理(真相)を絶対視することの危険性」を読者に問いかける点にあります。
本書は一読しただけでは味わいきれない、いや、おそらくほとんどの読者にとって、本書を味わい尽くすことは不可能でしょう。しかし、中世北イタリアの僧院というエキゾチシズムあふれる舞台設定と、「真理とは」という壮大な主題にむけて収斂、昇華していくストーリーを追いかけるだけで、十分に「読書の醍醐味」を満喫することができます。「20世紀中第2位」というのは少し大げさかも知れませんが、世評に恥じない大著だと思います。
薔薇の名前 特別版 [DVD]
言わずと知れたウンベルト・エーコの名作の映画化。
原作は日本語版上下二巻の分厚い大作のため、
本映画ではその衒学的部分の多くが端折られているが、
その点を除いてもすばらしい出来。
小説では、修道院の描写が長々と続き、
場所のイメージを掴むのが難しかったが、
映像化されると一発、3Dで理解できるのは便利。
ネタばれになってしまうが、映画を見てから
原作を読むという順番も良いだろう。
ヨーロッパ作ということもあり、時代考証は完璧。
とても日本などで造れる作品ではない。
(しかもショーン・コネリーの中世修道士の格好が
何故かとてもよく似合う)
吉松 隆 : プレイアデス舞曲集 2
一言で言えば「心が洗われる」音楽です。
いわゆる「現代音楽」のカテゴリーには入れたくない。
個人的には、ドビッシーやキースジャレットのピアノソロに通じるものを感じる。ジャンル分類は、無意味です。