西遊妖猿伝 西域篇(3) (モーニング KC)
連載再開後の西域編が、大唐編と比べて、テンション、面白さが落ちるという意見も多いが、これは、西遊記の原典が持つマンネリの宿命ではないだろうか?というのは、西遊記というのは、かなりワンパターン構造を持っており、妖怪が出たりトラブルに巻き込まれて、それを悟空達が知恵と腕力で解決、解決できなければお釈迦様か観音菩薩に助けを求める。というパターンを延々と繰り返すのみ。結局、西遊記で一番面白いのは、悟空の生まれ、天界をさわがせ、捕らえられる、玄奘が旅立ち、悟空に出会い、八戒、悟浄らがそろう、というところまでで、面白さのほとんどは出尽くしているということだ。さらに、諸星先生のインタビューにあったのだが、「西遊記の登場人物は、ほとんど中国的なキャラクターで、風土も中国的である」というのは、どういうことかというと、原典の西遊記は、唐の国を出てから西域諸国で、色んなエピソードが起こったことになっているが、しかし、西域諸国、砂漠の中なのに、中国的な山河、仏教、道教寺院、中国的人物像で話が最後まで進む。つまり、諸星先生が描くところの「西遊妖猿伝」は、西遊記のほとんどのエピソードを、唐の領土内で起こった出来事として描いているところがミソで、金角、銀角、羅刹女、紅孩児等々、主要キャラもすでに出尽くして、あとは牛魔王を残すのみ。つまり、原典の西遊記的な見どころは、実はほとんど大唐編で終わっている。大唐編のラストで、話を終わらせても、別に問題はなかったわけだ。しかし、西域編の意義は、「原典西遊記にもなかった未知の、そして本来こうあるべき玄奘三蔵の天竺取教物語」(玄奘自身の旅行記みたいなのはあるようだが、不勉強で読んだことはない)を描こうとしている。その勉強、資料集めのために、再開に間があいたのだろうし、これまでの西遊記にはない、西域臭を出そうと、諸星先生も手探り、試行錯誤で連載が進んでいるのではなかろうか?この西域編は、1巻の流砂河、砂悟浄編は絶品で、感涙の出来栄え、続く、2、3巻は、ゾロアスター教と西域諸国のエキゾチックさの雰囲気出しで終わっている気がするが、今後には大期待というところ。
文藝別冊 吾妻ひでお 美少女・SF・不条理ギャグ、そして失踪
いつもと変わらない「吾妻ひでお」がそこにある。
過去のどこかの時点で「エロ」や「ロリコン」・「萌え」が分岐して勝手に独自に成長していったとしても私には興味がない。
歴史としては記録しておく必要を感じるが「吾妻ひでお」が描く空間を楽しむには必要を感じない。
アイデアという概念を遊ぶことを書く。意味のないものが成長する。「ナハ」が巨大化する。よく分からない世界に迷いこむ
のに身構える必要は無く歩いていれば自然に迷い込んでいる。
失踪することをとっても誰にでも出来ることではなく自然の成り行きとして整理され、行動が描写されている。
過去と現在の「吾妻ひでお」を知るには最良のテキストと思われる1冊です。
孔子暗黒伝 (集英社文庫―コミック版)
暗黒伝説という作品を読んで、これが続編だとしって即座に購入。むこうにもレビューをしたので参考にしてほしいですが、相変わらずこのストーリーは設定が凄い。
あとがきにのってる「開闢(かいびゃく)から終焉へ、アジアから宇宙へ、神話から科学へ」とは本当にこの通りだ。対極をなすどころかあらゆる無関係な事柄が全て一つの物語に切っても切れない一つでも欠けることが許されない世界観になってる。
モヘンジョ・ダロで悪魔と出会ったときに登場する神官の顔、歴史好きだから見た瞬間にピンと来たんだけど、これ実際に発掘された神官像を絵にしたんだわ(モヘンジョ・ダロでWIKIPEDIA検索すれば画像のってる)。
夏王朝や周王朝、さらには中国神話の黄帝が宇宙創成の科学とも絡んでる。恐竜まで登場するのに破たんがない。
「時間がなぜ過去から未来へしか流れないのかだれにも解明されてはいない」
ハリ・ハラやトリムルティ、梵天の塔、開明獣など、少なくともインド神話、中国神話の用語もかなり出てくる。わけわかんない単語を検索すると実在のものだったなんてこの作品じゃ普通のことで、リアルと物語の区別がつきにくいこの雰囲気は壮大の一言につきる。
百億の昼と千億の夜みたいな。
驚嘆に値する作品だけど前作を読んだ身からいえば、正直いうと前作の暗黒神話より難しすぎてちょうど日本が舞台になる当たりは混乱して結構読み返したり、この人物いつ登場したんだ?っていう名前がいくつか登場もした。暗黒神話のほうはラストまで一気に繋がったけど、こちらは残念ながら話についていけなくなってしまい、一体どういう意味でなにがいいたかったんだろうと疑問をもって終わってしまった。
一応注意深く読んでいたので俺だけじゃないと思う。終盤「器」とか単語の意味を少し解説してくれれば、ここまで凄いストーリーなんだからラストを十分に味わえないのは残念だし悔しい。