ぜんぶの後に残るもの
私は、この方の文章と感性の独特な先鋭さがとても好き。
日経新聞の夕刊に掲載されていたエッセイもリアルタイムで読んだとき、
なかなか、他の人がはっきり言えない感覚、でも市井の感覚、でも独自なもの
を打ち出しておられて、関心していました。
この本は、週刊新潮の連載がかなりの部分を占めるけど、
一部、震災直後の時期の日経夕刊のエッセイも交えています。
今の時代をより深く考えるために、
どのような力をもってしても「奪われないもの」とは何かを
震災後の今考えるために
この本を読んでみてください。
追伸:深刻な話ばかりではなく、つい笑っちゃう話ももちろん多いです。
(作者のファンにはいわずもがなでしょうが)。
ヘヴン
主人公と百瀬(苛める側の一員)のやり取りが印象的だった。
人間のもっている主観は人それぞれ違うものだ。だからお互いを本当に知ろうと思ってもそれはできないのかもしれない。
主人公の言い分が百瀬に通じなかったのもそのせいだろう。
百瀬と主人公はわかりあえなかった。
一度はわかりあえそうだった主人公とコジマも本当はわかりあえなかった、と思う。
だから悲しい、というわけではない。人間とは、そういうものだ。
そう感じた。
ヘヴン (講談社文庫)
ハッキリ言って、読むのがつらい作品です。いじめのシーンはあまりに壮絶(自分自身の中学生時代を思い起こしても、そこまでリアリティは感じませんでしたが、今のいじめはこんなに凄惨なのでしょうか?)。それでも、先が気になったことに加え、最後に救いがあるに違いない、と思い読み進めました。そして最後、ほのかな期待は大きく裏切られることになるのですが。それでも、やはり読み終えてよかったと思いました。
本書には哲学的、宗教的な意味が込められているようです。しかし、そんな難しいことではなく、「他人を変えることができないのだから、自分を変えろ」「人は強く生きなければならない」といったシンプルで前向きなメッセージだと私は受け止めました。誰にでもオススメできる作品ではありません。ただ、本書を読みきらなければ分からなかった世界がありました。
曾根崎心中
本作は、近松門左衛門作「曽根崎心中」の翻案であり、ストーリーはそのままに、角田光代が 遊女 初の口を借りて 元禄の浮世に彼女が夢見た儚い数日を描いたもの。
原作を知る者も 知らない者も 遊郭の淡い灯りを思い描き 初の言葉に身を委ねてもらいたい。次第に その時代 そこにいた人々 を肌に感じ そして ほんのりと浮かぶだろう 初の儚い夢現に包まれていく。
これだけ世に知られた原作にネタばれもないだろうが、原作では明らかになる心中のきっかけの真相が 本作ではラストで逆に曖昧なものとなっていく。(このネタが分からぬ場合、読後にwikipediaを一読いただきたい)
この違いは、事実を知らぬ初 事実を疑う初 という大きな違いとなるが、その違いを味わうなら、角田光代の描こうとしたものに、より近づけるのではないだろうか。
浄瑠璃とも歌舞伎とも違う より映像的な世界に翻案されながら その映像は 元禄の遊女から 現代の私達が確かに受け止められる言葉になっている〜終盤 二人が見た あかり それを感じながら。