織田作之助 (ちくま日本文学全集)
出世作「夫婦善哉」を読むと夫婦には子どもなど不要なことが
わかりますな。
なんやかやと子どもはうっとうしい。
もっと言えば夫婦になる必要もない。
戸籍も必要ない。
これから晩婚化がもっと進みますやろ。
石川さゆりの「夫婦善哉」もよろしおっせ。
関西にはこういうまったりしたもんがようけおます。
それがうれしおすな。
わが町 [DVD]
待ってましたー!!待望の「わが町」DVD発売です。
とある映画館のサヨナラ上映で観て以来”ベンゲットのたーやん”が忘れられず
ビデオ化もされてないようだったので上映がある度に映画館へ出かけてました。
いわゆる川島雄三的な作品ではないですが…名作です!
ボロボロになりながらも車を引いて、娘を、孫を、男手ひとつで育てあげる
たーやんの生き様に凄まじいパワーを感じます。
またそれを温かく見守る長屋の人達、今は聞く事のない美しい大阪弁。
人は死ぬまで”一生懸命に生きなければいけない”と教えてくれる映画だと思います。
夫婦善哉 (新潮文庫)
表題作より併録のこちらの批評の方が面白かった。
文学論好きな方に是非読んで頂きたい。ごく短いので、すぐに読める。
この批評は新しい文学を志向しながらも、いたずらに古い文学を貶すことなく、
「古い文学で定石となっている形式(主にタイクツな身辺小説)」
を無条件で良しとすることの弊害を説いている。
冒頭の将棋名人の例にあるように、たとえ勝負に負ける羽目になろうとも、
文学上の定石を妄信してそれに捕らわれてはならないのである。
むしろ乗り越えねばならない。
定石ではないやり方を用いて結果的に負けてしまってもしょうがないが、
事なかれ主義で定石の枠に留まっていてはならず、
定石から敢えて外れて可能性を広めねば日本文学の発展はないのである。
当時の小説好きの人々が、
「私小説・身辺小説(=事実の裏打ちのある小説)」
「娯楽性のないタイクツな小説を是とすること」
にどれほど拘っていたかが分かり、興味深い。
志賀直哉批判の作品としては、
他に太宰の「如是我聞」や安吾の「不良少年とキリスト」などがあるが、
これらと比して「可能性の文学」における志賀直哉批判はより理屈がきちんとしており、
読み手に批判内容が伝わり易いように思う。
目次
・夫婦善哉
・放浪
・勧善懲悪
・六白金星
・アド・バルーン
・可能性の文学
名短篇ほりだしもの (ちくま文庫)
この文庫本のアンソロジーに付けられたタイトルが、「ほりだしもの」。よくぞ、ここまでぴったりのタイトルを付けたものだと思います。
一つには、宮沢章夫・中村正常・石川桂郎・久野豊彦・伊藤人譽と言った、今まで読んだことどころか、名前も知らなかった作品が読めたことです。
更に、もう一つは、芥川龍之介の「カルメン」などの様に、著名な作者の隠れた名作が読めた事です。
中でも、織田作之助の作品が三篇選ばれていますが、どれも素晴らしい出来で人情味豊かな話になっており、読後にほんのりとした心の安らぎを感じさせてくれました。
読んだことが無かったが、その悪品の素晴らしさに、もっと読みたくなったのは、伊藤人譽です。
この中には、「穴の底」「落ちてくる!」の二作品が載っていますが、穏やかな言葉の影に、「怖さ」さえ感じさせられました。
これで、シリーズ4冊目になりますが、今後もほとんど目に触れなかったこうした素晴らしいの企画を続けて欲しいものです。
夫婦善哉 [DVD]
欲得抜きで惚れた男に尽くす女、男が女に対して描くある種の理想形態である。
多くの場合幻想に終わるけれど、、、。
それを具現した元祖無頼派、織田作之助原作の同名小説を映画化したものだ。
「昭和七年頃」という字幕で始まるこの映画、男に尽くすことを生きがいにした女の物語、おそらく現代においては成立し得ない男女関係が徹底した男側の目線から描かれる。
大阪船場の老舗化粧品店の長男、いわゆる「ええ氏のボンボン」柳吉は妻子ある身でありながら芸者蝶子といい仲になり、熱海に駆け落ちする。
地震にあってほうほうの体で大阪に逃げ帰るが親からは勘当されてしまう。
惚れた男に不自由な思いをさせまいと水商売に戻り必死で働く蝶子だったが、彼女の思いを知ってか知らずか散財を繰り返す柳吉に愛想を尽かしとうとう家を追い出してしまう。
しかし行くあてとてなく、結局は蝶子のもとに舞い戻ってくる柳吉であった。
蝶子を愛しているのだが滅多にそれを口にしない柳吉。
柳吉の父の死、葬式への参列を巡り蝶子の立場をおもんばかろうとしない彼の態度に絶望し、ついに蝶子は自殺を図る。
森繁がほんとに巧い。
痛む体をさすってくれと子供のようにダダをこねたり、「(色町で)遊んでおいで」と蝶子に言われ、「ほんまにええか?」と蝶子の顔をうかがいながらいそいそと支度を始める様子など、巧いとしか言いようが無い。
「芸者あがり」の蝶子、淡島千景がこれまたいい。
柳吉の実家の大店に乗り込んで妹婿への直談判、決裂し啖呵を切って店を去る場面など小気味良く爽快だ。
が、同時に彼女の困窮とのギャップに暗然とさせられる場面でもある。
森繁との息もピッタリ、二人の痴話ゲンカのやりとりなどは微笑ましいほどだ。
蝶子の両親をはじめ多様な登場人物一人ひとりがそれぞれ丁寧に描かれ、積み上げられた人間模様が物語に厚みを与えている。
エンドシーン、一緒に甘味屋で善哉を食べる二人、無一文から再出発を期する姿が健気で潔い。
オールセットで再現された法善寺横丁やミナミの情景も懐かしい。
「昭和は遠くなりにけり」、男女関係もまたしかりである。