ビルマの竪琴 [DVD]
…それは人間のもっとも原始的衝動から来る哀しみだ。
戦争映画といえばそうなのですが凄惨な描写は一切なく淡々と物語は終始進みます。何故彼は残ったのか。そこに人間の真実がある。死者の魂を慰める。ただそれだけの為の終わらない贖罪…人の魂の業を感じます。
文句無し星五つ。
ツァラトストラかく語りき (下巻) (新潮文庫)
ニーチェの代表作を平易に理解できる本です。
比喩に富む著作にその解釈を各ページ毎、併記してあるので、専門知識などなくともすらすらと読み進めます。
下巻では永遠回帰について語り始めます。
既成の形而上学概念に代わる新しい価値観を模索するツゥラトストラは山伏のようでもあり、その世界に引き込まれます。
歴史的影響(ナチス)とニーチェの真意を比較して読むと面白いと思います。
その流れるような文体と含蓄に富む文章からは種田山頭火を想起しました。
一般に思われるような、いわゆる哲学書とは全く別物です。
ビルマの竪琴 (偕成社文庫 (3021))
私はこういった「文部省推薦」的な作品は進んで読もうとは思わない方なのだけれど、「何か時間つぶしの本を・・・」と何気なくこの本を手にとり、ほんの2~3ページ目を通した時にもうすっかり心奪われました。混ぜ物だらけのジュースやカクテルばかり飲んでいた口に、汲みたての岩清水をスーッと流し込んだような清涼感。美しい自然描写、戦争という荒んだ状況下でも人間らしい心根を失わぬ素朴な人々。もともと子供向けの童話を意図して書かれたとあってすんなりとしたさわやかな文章で書かれています。
日本を遠く離れた南国の地で、誰にも顧みられることなく朽ち果てようとしている同胞の遺体の数々。それを捨て置くことのできない主人公の気持ちも痛いほどわかる。しかし、もし自分が同じ境遇にあってはたして同じ行動がとれるかどうか・・・。
作者の竹山道雄さんは評論家、独文学者であり、小説は後にも先にもこの一作しか書いていないというのも驚きでした。戦後の混乱期、疲れ果てた人たちに希望を与える作品を、と筆をとったそうですが、それだけに柔らかな文章の中にも渾身の想いがこめられていると言えるでしょう。
昭和の精神史 (講談社学術文庫 (696))
「あれ」について、史実をフォローしたのが「昭和の精神史」だとすれば、
銃後の国民にありがちだった心理を再現してみせたのが「手帖」だと言えるでしょう。
生活の現実を見ず、観念の高みから大人を断じる青年の感激。
より小さな悪に踏みとどまる代償羊と、そうした責任を引受けなかったがゆえの清い手で攻撃する者。
正しくあろうとし、義を重んじようとした、国民性がいかなる事態を許容したか。
そのメンタリティは、現代の社会でも随所に見られるはずです。
昭和の精神史 (中公クラシックス)
「ビルマの竪琴」で「戦後日本の反戦平和主義者」と一部で誤解されていた竹山道雄が、1968年「エンタープライズ佐世保寄港」に賛成意見を述べ、朝日新聞の「声」欄で猛烈なバッシングを受けたとき、私は初めて竹山道雄という人物に関心を持った。新聞紙面のおどろおどろしい見出しは、戦前の戦意高揚記事にも似て、読者をパニック状態に招くようなものだった。しかし、竹山道雄は、発言を変えることはなかった。非難されても降参しない、この静かな強さはどこから生まれてくるのか、子供心に不思議でならなかった。
「昭和の精神史」は、小さな文庫本になっていた。そのページを開くと、例えばノーマンが「日本に於ける近代国家の成立」で陳述した、「明治維新がフランス革命と異なり封建体制の支配者によって行われた不十分な革命であり、それが昭和の超国家主義になった」というような説がいかに間違った説に過ぎないか、静かに、しかしポレミックに語られている。そして、戦後の混乱の中で流出した様々な戦争に至るまでの経過に関する説が、陰謀説や自己弁護、責任転嫁とない交ぜになったものであり、一つ一つ慎重な検証が必要であることを説く。中でも白眉は、東京裁判にオランダから参加した「ローリング(レーリング)判事」との交流であろう。
この本が書かれた昭和30年当時と現在では、後に公開された資料、証言も数多く、認識を新にする部分もあると思われる。しかし、絶えず、論争相手を意識して書かれたこの書物は、ここに必ずしも書かれていない当時の様々な主張まで反映しており、まさしく「昭和10年〜30年前後の幅広い時期を包含する一つの精神史」になり得ているのである。