不可能性の時代 (岩波新書)
東京大学見田宗介ゼミ出身、今日を代表する社会学者の一人である
大澤真幸の最新作である。見田宗介に対する学恩を感謝する旨の
謝辞があとがきにある(私の裏付けのない理解だと、東大小室直樹
自主ゼミの参加者で、橋爪大三郎や宮台真司の系列の書き手という
印象があるのだが、事実誤認だろうか)。
見田宗介による戦後の区分:
「理想の時代」(1945〜60年)
「夢の時代」(1960〜75年)
「虚構の時代」(1975〜90年)
に準拠して議論を展開し、1990年から現在へつながる時代を
本書のタイトルである「不可能性の時代」と概括して、現代の閉塞の
根源と、脱出への回路を論じている。
論点は多岐に渡り、読み手の得意分野にヒットすればその部分に
ついて、新たな視点が得られる仕掛けになっている。多くの読者に
届くようになのか、筆者の持ち味なのか、サブカルチャーへの
積極的な言及と、時代を画する犯罪への深い洞察が類書とは違う本書の
特徴をなしている。たとえば、1968年の少年Nによる連続射殺事件や
1997年の、神戸市須磨区連続児童殺傷事件への長文の考察がある。
著者の同時代人たる評者には、とても刺激的な論考で、蒙を開かれる
部分も多かったが、読んでほしい対象たる年若い読者に対して、
こういう議論展開はどうなのだろうという疑問も感じた。
若い人たち(著者が日々接しているであろう大学生・大学院生)の
世代に媚びる必要はさらさらないが、目線が著者の同時代人に向き
すぎているように感じられるのだ。松本清張の『砂の器』に水上勉
『飢餓海峡』・森村誠一『人間の証明』を並べて論じている部分など
が評者にとても興味深かった。
80年代的な著作を2008年に読む楽しみ。
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実際に起きた事件(1968〜69年)をすぐさま映画の題材として取り上げるなど、まだまだこの当時(1970年)の日本映画界には冒険心と活気があったと言えますし、低予算の独立プロ映画でありながら、付け焼刃のやっつけ仕事感がまるで無いなど、さすがに映画撮影所育ちのプロの仕事ぶりは一味もふた味も違うと感じます。
新藤兼人さんの映画は、最前衛のぶっ飛んだ部分と、オーソドックスな古めかしさが同居しているようなところが面白いです。
この映画も、映像だけみると、「最近の若い人が作った映画だ」と言われても納得できてしまうほどの瑞々しさです。新藤さんは黒澤さんと同世代ですが、同年封切りの「どですかでん」での黒澤さんの衰退ぶりを思えば、新藤さんの若々しさはひときわ輝いて見えます。
一方、「青春=故郷=母校=校歌」というなんとも古めかしいスパイスを効かせながら、「親子の情愛の欠如」に事件の解答を求めるあたり、「素材は、とにかく料理してから提供する(素材を、素材のまま放り出さない)」という昔気質の責任感なのでしょうが、「略称連続射殺魔」での足立さんと比べると、やはり古臭いなあと感じてしまいます。最後の面会室での、母親役・乙羽さんの大熱演など、かなり鬱陶しいです。
最も印象的だったのは、車で移動中の主人公(原田さん)が、この時代に多く見られた学生のデモ隊に遭遇して停車を余儀なくされ、「急いでいるのに邪魔しやがって」といった顔で舌打ちする場面。こういう場面をさりげなく挿入するところがいいですね。生活に追われる庶民にとって、天下国家を論じる学生のデモなど、恵まれた子どもの遊び程度に過ぎません。しかしその後すぐに、主人公は、切羽詰った挙句に社会からスポイルされ、犯罪者となって、デモ隊が対峙していた国家から追い詰められる存在となってしまいます。デモ隊を苦々しく思う庶民と、共に立ち上がらない庶民を小バカにするデモ隊。天下国家の為政者たちは、庶民や学生の怒りや焦燥感などどこ吹く風で、下々の分断をせせら笑っています。脱原発を訴える都会の知識人、原発から恩恵を受けている周辺地域の住民たち、この期に及んでもなお利権を守ろうとあの手この手で画策するナントカ村の住人どもの、三者関係にも当てはまる構図です。
無知の涙 (河出文庫―BUNGEI Collection)
4人の命を奪った永山則夫は、獄中で本を貪り読み字を学びながら、生まれて初めてノートを綴りました。そして「無知の涙」を書きました。
極貧の生活環境が彼の犯罪を引き起こしたとされたことからその著書も注目されるわけですが、私たちの多くは、普通の教育を受けながらも本を出すということはそうあることではありません。
永山則夫がまともな教育を受けていたら4人の命が奪われるという事件は起きなかったかもしれません。そして、「無知の涙」とは縁のない本を書くこともあり得たのではないかとも思います。そのことを思うと、教育の重要性を痛感します。
彼の著書は、普通の教育を受けた人以上に社会に向けて問題提起している面があります。獄中生活を送る中でしかそういう能力を身に着けざるを得なかったことが残念でなりません。
木橋 (河出文庫)
裁判員制度導入にあたり、有名な「永山基準」の元になった筆者の作品を、ぜひ読んでおきたかった。 一気に読みきった。印象に残ったのは筆者の幼少期の痛いほどの魂と腹と知識の「飢え」だった。また無知と暴力に満ちた家庭に育った筆者が、弱冠19歳で4人もの尊い生命をライフルで奪い獄中に入って後、初めて貪るように本を読み学んだであろう文章力の確かさと、長年目にしなかったはずの風景スケッチの緻密さとにも驚嘆した。罪を犯す前に、何とかならなかったものか、してやれる事はなかったものか、と繰り返し呟かずにいられない。 筆者の死刑判決・執行は、私はその判決文も読んだが、惨めな生育歴を考慮しても、罪の重さを考えれば、納得に値すると思った。しかし裁判員制度が始まる前に、この本を読んでおいてよかったと思う。読まずに裁く立場になり、人を裁いたら、多分私は生涯後悔しただろう。最初は反抗していたが、死刑決定後、学ぶことに救いを見い出し、獄中で穏やかに執筆を続け、しかし執行時には再び暴れたという、破滅的な筆者の人生。彼は「心のアバシリ」に、死刑という形を取ってでも、どうしても帰らずに、いられなかったのだろうか。