海のオルゴール―子にささげる愛と詩
名著です。竹内てるよさんの厳しい生涯(生まれたときからほとんど幸せだったことがないと思われるぐらいです)が語られ,その間に素晴らしい詩が掲載されています。結婚して産んだ子は顔を見ることもないまま里子に出され,一人孤独に闘病していた頃の「風」という詩の一節。51ページ。
はかなく今日もくれしかど
われ ひそかに 信ず 人生は
まだもつと 美しきところなるべし
美智子皇后が外国でのスピーチで自ら一節を英訳して紹介された「頬」という詩も載っています。冒頭だけ…。57ページ。
生れて何も知らぬ 吾子の頬に
母よ 絶望の涙を落とすな
未来のある子どもに悲しい気持ちを伝えるな…ということです。こういう覚悟を,母親というのはしているものなんですかねえ。息子さんと生き別れになった後,息子さんの誕生日にはこんな詩(「誕生の日」)も読まれています。またまた一部だけ引用します。75ページ。
一の非凡でなくともよい
千の平凡で その一生をゆかれよ
平凡でない生活をせざるを得なかった竹内さんの,このお言葉は実に重いですねえ。竹内さんは大変な苦労をされて,後年やくざになって拘置所に入っていた息子さんを引き取り一緒に生活を始めるのですが,息子さんは34歳で亡くなってしまいます。本当にお気の毒で胸が苦しくなりますが,そうした折々に語られた言葉や詩が満載で,心に深く浸みてきます。涙も出ますが勇気も湧いてきます。
静かなる夜明け―竹内てるよ詩文集
竹内てるよさんの波瀾万丈の人生を綴った『海のオルゴール』はまことに名著で、トックリスターさんがレビューしていたように「涙も出るが勇気も出る本」ですが、その彼女の詩を『海のオルゴール』に収録されなかったものも読んでみたいという人は、ぜひ本書を手にお取りください。
初期の詩には、生活史的背景がわからないものが多くて、少しピンとこないものもありますが、中期以降がいいです。
私が気に入ったのは、74ページの「麦笛を吹く子」、89ページの「まんさくの花」、137ページの「月見草」、141ページの「むかえ火」、143ページの「子供」、153ページの「雪の上の花」、158ページの「誰か非凡で」。
また、詩としてはさほどではないけれど、次に写す「日輪病む日」を読んでみてください。
いく百年に一度 来るという
日蝕の日の朝を早く
私は一杯の 清らかな井戸水をくむ
日輪が病むという日の
つめたい水の清らかさよ
静かに くぬぎの枝々を渡る風よ
まずしい あけくれの静居にいて
私は
この自然を愛しているであろう
空をゆく雲も
地をすぎゆくかすかなる風も
虫も そしてあのいたずらな小鳥たち
忘れてはならない親しい花々
空のかたわらに落日が消えるとき
大地に朝の霧が巻き上がるとき
私の心は こんなにも
熱く 正しく そして清い
ああ誰が少しでもこれを汚すことが出来よう
いく百年に一度
日蝕は来る
以前の時に生れていなかったように
次に来る日に 私は生きてはいまい
けれども私は
どんなにこの自然を愛しているであろう
雨に濡れて輝く椿の葉を
風に散ってゆく けやきの小さい花を
冷たい井戸水を
このガラスのコップについで
わたしは 誓っておこう
天地のあるかぎり
今日 この日が
天文学者や 研究家の記録に残るように
私の愛もきっと残るであろう
限りある生命で かく永久を愛する
かなしき強き愛が
地球上の特定の一箇所で中心食(皆既食または金環食)が見えてから、次回同じことが起こるのには、平均300年ほどかかるそうですが、日食にはサロス周期というものがあって、それが3回重なると、54年と1箇月あまりで、地球上の非常に近い地域で前と似た日食が起こるという法則があります。著者が詩に詠んだ「日輪病む日」は、明らかに、本州南岸一帯が食分90%ほどの深い部分日食になった(八丈島では金環食になった)1958年4月19日の日食のことです。その3サロス後の日食が、今年5月21日に起こる東京金環日食です。
著者は2001年2月4日に96歳で他界されましたから、確かに「次に来る日に生きて」はいらっしゃらないわけですが、「かなしき強き愛」は確かに残っています。
いのち新し―魂の詩人・竹内てるよの遺作
竹内てるよ先生の最後の作品、ご苦労な一生を送られ、
私の母の年代だけに涙して読ませていただきました。
心から供養する、共に生活する,というところに感動しました。
私もこれからの人生頑張っていきます。