人のセックスを笑うな
この小説がもてはやされるということは、恋愛について現代は随分軽いんだなぁ〜ということか。不倫と言う「修羅場」にあっても誰も声を荒げることなく、セックスはしても、気持をストレートにぶつけることもなく、別れにあたっても淡々と疎遠になっていく。
こうした経過をたどる恋愛を経験した人は、ものすごい大勢いそうだ。
感情表現が下手で、本音をどこにも(もしかしたら自分すら本音がわかっていないかも)明かすことなく、自分の殻のなかで人を傷つけることも自分が傷つくことも恐れている。
彼らはどこへ行くのだろう?人生終焉のとき、何を思うのだろう?
映画では永作博美が主演したと言うことで、なにか「ほんわか」さを漂わせているようだが、本を読む限りでは薄ら寒い印象だった。この本を読むのには、既に私は年を取りすぎたのだろうか?
この世は二人組ではできあがらない
ふたりの破局は不可避で必然、紙川に生活力がないから。ン?努力の末念願の公務員試験に受かるのだからそうでもないか。男にないのは定見だ。試験勉強に障るからと同棲を止め、別れたおんなの仕送りのお陰で勉強できたのに結局中途採用の日能研に行ってしまう。男の風上にもおけない奴だ、昔だったら。栞さんだって紙川さんが公務員なんて柄にもないと思っているのに戻ってくる筈も無い金を出し続けたりして素直じゃない。ここまでお膳立てしておいてオンでなければオフなの、オンでもオフでもない関係ってないの。気持ちはよく分かります。年かさ読者向けの説明は要りません。それにしても川上弘美バリの文体はいかがなものか。乾いた文体が内容にマッチしそう。
浮世でランチ (河出文庫)
ランチタイムの過ごし方に象徴される他者との距離感から、主人公のOL君枝の現在の社会性やその形成過程を、淡々と、なのにリアルなタッチで描いた作品。
中学生という、得体の知れない生きにくさに包まれていた時代の感覚が蘇ってくるとともに、現在、器用さを手に入れたつもりになっている自分が、心の奥底ではもっと違う他者との結びつきを欲しているのではないか、とはっとさせられた。
読後、しばらく会っていない中学時代の友人に会いたくなった。
指先からソーダ (河出文庫)
タイトルはセンスがいいなと思ったんですけど、文章はもうひとつです。
短いエッセイ集なんですが、ものすごい野望とヤル気は宣言しまくっているけれども、文章がそれに追いつけてない感じです。「人にわかってもらう小説を書く気はさらさらない」などと言いながら、ずーっと後の方で「何で売れないのか」「読者にわかってもらえない」とか書いているんですよ。これは大いなる矛盾です。そりゃないわ、とガックリきました。
若い女性らしいフラジャイルさと野望を秘めた太さが同居していて、共感できる内容のエッセイもあったのですが、果たしてこれからそれだけでやっていけるのか。がんばってほしい。
あと、申し訳ないですが、作者は表紙に写真を載せられるほどの美人ではないと思います。